江戸時代に活躍、謎に満ちた相場師の極意「三猿」とは? 牛田権三郎(上)
三猿とはすなわち、見猿、言猿、聞猿の三なり
さて、「三猿」とはなにか。牛田翁はこう述べている。 「三猿とはすなわち、見猿、言猿、聞猿の三なり。眼に強変を見て、心に強変の渕に沈むことなかれ。ただ心に売りを含むべし。耳に弱変を聞きて、心に弱変の渕に沈むことなかれ。ただ心に買いを含むべし。強弱を見聞くとも人に語ることなかれ。言えば人の心を迷わす。これ三猿の秘密なり」(三猿とは、見ざる、言わざる、聞かざるのころである。相場が上がり、人気が強くなるさまを至るところで目にしても、自分の本心までそれぞれに同調してはならない。むしろ売る時期を考えるべきである。反対に相場が下がって人気が弱くなるさまも耳にしても、心底から弱くなってはならぬ。逆に買い場を狙うべきである。また相場の強弱について他人に言ってはならない。他人を迷わすだけだから。以上の三原則が三猿の秘訣である)
初心者必見、260年変わらない商い(相場)の心得
また『商い成功の伝』の中で、こう説いている。商い(相場)を手掛ける初心者には必須の心構えで260年たった今も変わらない。 米(商品)、株、為替すべての相場に共通する教えである。 「商いをせんと思う節は、その身分に応じ、まず損金のつもりをなし、これほどの金は損を生むも身代の痛みにもならずと思うほど捨てる心得にて、仕掛けるべし。50枚仕掛けんと思わば、まず10枚より始め、10枚でこれほどの損にて仕舞いと分割し、見込み違わば、最初に計りし損より多く損すべからず。いくどもかくのごとくして10円ずつ3度にても30円なり。その余思い入れ違わざるときはみな利分なり。右の如く商いをなせば、損は度重なりても金高は少なく、利は一度にても多く、5度の商いに3度の損ありても2度の利食いの方多し。期月米の商いは1カ年に2、3度より仕掛ける時なし」 まず自分の資力と相談して、損金の限度を設定しておく。そして一度に勝負するのではなく、数回に分けて行い、そのつど損金の限度を決める。失敗を極力小さくしておけば思惑通りいった時のもうけと差し引きしても利益が残る。米の先物相場は毎日立っているが、実際に仕掛けるのは1年に2.3度にとどめるべし。翁は損金の限度設定をやかましく説き、また年がら年中相場を張ることの愚を強調する。「ウォール街は明日もある」「休むも相場」の警句と共通する。 「分別も思案もいらぬ買い旬は 人の捨てたる米くずれなり」(人々が投げて相場が崩れた時は考えることはない、買い時である) 「いつとても売り落城の高峠 恐いところを売るが極意ぞ」(売り方が観念して損を承知で買い戻してきたところは、恐いかも知らぬが売り時である) 「豊年の崩るる米は買いが良し、高きところを待って売るべし」(豊作で相場が崩れたところは買い) 「飛び下げはいつでも米に向かうべし 飛び上げならば米にしたがえ」(相場が急落したときは買い、反対に急騰した時は相場に追随して買えと教える。飛び上げても飛び下げても買いだという。これは難解な歌である、岩本巌氏はこの歌について商人というものは売ることよりも買うことを常に年頭に入れておかなければ商売を大きくすることができないと話ているが、今一つ説得力に欠ける) 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)> 牛田権三郎の横顔 生没年不詳。江戸時代のコメ相場師で慈雲斉と号す。本間宗久と並び称される。1755(宝暦5)年相場の秘伝書『三猿金泉録』を著す。巻頭でこう述べている。「予壮年のころより、米商い(コメ相場)に心を寄せ、昼夜工夫をめぐらし、60年来月日を送りて、ようやく米強弱の悟りを開きて、米商いの定法を立て、一巻の秘書を作り、名付けて『三猿金泉録』という」。三河方面の人という説があるが定かでない。