「行動の量」を増やすことが、“根性論”にならない理由とは?
キーエンス時代、私が外回りをしている間に私の担当の見込み客から会社に問い合わせがあると、他の社員が私の代わりにアポを取っておいてくれることがありました。私の帰社を待っていては、対応が遅くなってしまうためです。 帰社してからそのアポを見ると、「自分ならこのような企業にはアポを取らないな」と思うような相手のアポが取られていることも多々ありました。 ところが、そういうアポに限っていざ訪問してみると実に感触が良く、あっさりと売れてしまうことがあったのです。 つまり、10年営業をやっていても、どの顧客に売れるかどうかはやってみないとわからないところがあるということです。 事前にここなら売れそうだと判断してアポを取っても、商談化にすら至らないケースも少なくありません。 この経験からも、「自分の能力や技術力の問題だ」というのは単なる思い込みのケースが多く、それよりも単純に量を増やすことのほうが、成果が出ることがわかりました。 「行動の量」を増やしてみると目に見えて成果が出ますので、これまで成果が上げられなかった理由が自分の能力や技術力によるものだという思い込みから解放されます。「なんだ、悩む以前に、そもそも量が足りていなかったのか」と気づけるのです。 成果も出やすいので、だんだんと仕事がゲーム感覚になってきて、日々、気分の浮き沈みもありませんから、さらに成果が出るという好循環に自分を持っていくことができるのです。 ■「行動の量」を増やすことは根性論ではない このように「『行動の量』が大事」という話をすると、 「結局、根性論ですか?」 「今の時代に『量』なんて、考えが古すぎる」 と誤解される方がいますが、私が考える「根性論」とは、どの方向にどこまで努力すればいいのか不明確なまま、むやみに努力した結果、さほど成果が上がらず、再びむやみに努力するという悪循環のことです。 しかし、本書で述べている「行動の量」とは「成果を上げるための方向性(プロセス)」と、「どこまで努力をすればいいのか(KPI)」を明らかにした上で必要なだけの努力を効率的に行うことです。 しかも成果が出せますので、さらに努力の目標と量をプロセスごとのKPIに設定することで、効率的な努力をして成果を上げるという好循環をもたらす行動です。 このような誤解をされている方は、キーエンスの社員も根性論を持って猛烈に働いている印象を持たれているようです。 しかし、キーエンスでは現在、午後9時には完全退社しなくてはなりませんし、皆さん合理的に仕事をしています。 むしろ、キーエンスでは徹底した数値化によって合理的に働くことが求められています。 数値化とはむしろ、努力を最小にして成果を最大にするための営みなのです。
岩田 圭弘