大隈講堂からピアノを持ち出して 過激な番組「ゲバ学生vs猛烈ピアニスト」 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<13>
■大隈講堂からピアノを持ち出して 《東京12チャンネル(現テレビ東京)の〝危険なディレクター〟田原さんは、より面白い、より過激な番組をつくり続ける。昭和44(1969)年に放送された『バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~』もそのひとつ》 「すごいジャズピアニストがいる」と紹介されたのが山下洋輔さん(82)でした。早速、僕も聞きにいくと、すさまじいピアノを弾く。僕は、ぜひその姿をドキュメンタリーで撮りたいと思ったね。話をすると、彼は「ピアノを弾きながら死にたいんだ」という。 当時は学生運動が激しかったころで、早稲田大学の校舎も過激派の学生によってあちこちでバリケード封鎖されていた。ならば、その中でピアノを弾かせ、乱闘の中で死んでもらおうじゃないかと…(苦笑)。 作戦はこうでした。まずは、大学の大隈講堂に置いてあるピアノを、警備のスキをついて盗み出す。ピアノは大学が大事に保管している名器らしい。それを過激派の学生が占拠している法学部の地下ホールに運び入れる…大騒ぎになるのは必至でしょう。というか、そうなれば、もっと面白い、とディレクターとしては期待するわけ。 このとき、盗み出しに手を貸した学生の中には後に著名な作家になった人がたくさんいたらしい。まぁ真相は分かりませんし、あくまで自己申告ですけどね。逆に「阻止しようとした」という学生もいました。音楽関係のサークルの学生たち。 《無事? ピアノ盗み出しに成功し、過激派学生が見守る中で山下さんのピアノ演奏が始まる。田原さんが〝期待した〟乱闘は起きなかった》 そこに、(占拠している学生と)対立するセクトの学生が駆けつける。警官隊もやってくる。ピアノを盗まれた大学側も黙っていないでしょう。大乱闘の中で山下さんが死んでゆく…とは、ならなかった。 なぜならば、山下さんの演奏があまりにすごくて、皆が聞きほれてしまったから。それくらい見事な演奏でした。演奏が終わると「よかったねぇ」と言い合って喜んでいる。番組も無事、放送されました。なぜか、大学側からの抗議は一切ナシ。抗議がくれば、ケンカをしてまた面白くなったのにねぇ。 今じゃ、こんなむちゃはできないって? そうかもしれないけど、今の番組制作者は批判を恐れすぎているよね。だから、面白いものができない。もちろん『バリケードの中のジャズ~』は、すごく話題を呼んだよ。
【関連記事】
- 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<13>大隈講堂からピアノを持ち出して 過激な番組「ゲバ学生vs猛烈ピアニスト」
- 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<12>テレビの〝いい加減さ〟に魅せられた 2回パクられた「危険なディレクター」に
- 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<11>新聞・テレビの就職に軒並み失敗 就職先は「左翼の巣窟」、でも仕事のほとんどは企業のPR映画
- 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<10>作家を目指し早稲田大へ入ったが…会うのが怖かった大江健三郎さん
- 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<1>引退するつもりはサラサラない 「老害」批判は当然 ネット炎上ありがたいこと