【山手線駅名ストーリー】日暮里・西日暮里駅 ― 昭和30年代まで山手線の駅に蒸気機関車が走っていたなんて!(山手線ではありませんが…)
高台の寺院は桜や月見の名所
西日暮里にも多くの神社仏閣がある。
〈青雲寺〉
谷中七福神のひとつ、恵比寿を祭る。江戸時代は花の名所だったことから「花見寺」といわれ、歌川広重の『名所江戸百景』に見事な桜と見物客が描かれている。1809(文化6)年に建った滝沢馬琴の筆塚(荒川区指定文化財)が今もある。ちなみに、恵比寿を拝観できるのは1月1日からの10日間だけに限られている。
〈修性(しゅしょう)院〉
青雲寺のすぐ近くにある修性院も「花見寺」と呼ばれ、同じく『名所江戸百景』に当時の様子がある。賑わいは明治時代まで続き、俳人の正岡子規はこう詠んでいる。 <踊るかな 春の夕日の 影法師 踊れ踊れ 花のちるまで 暮るるまで(子規)> 谷中七福神のひとつ、布袋を祀っている。
〈浄光寺〉
西日暮里駅西側の高台に立つ寺で、こちらは雪の日の眺望が良いことから「雪見寺」として人気があった。江戸時代、将軍が鷹狩の際に立寄る御膳所だったため、「将軍の腰掛けの石」とされる岩がある。
〈諏方(すわ)神社〉
浄光寺の隣りに鎮座する日暮らしの里の総鎮守で、景色が壮観だったという。前述の『名所江戸百景』の2点は、諏方神社からの眺めを描いたものだ。 この地に寺院が集中しているのは、谷川彰英によると明暦の大火(1657)で焼け出された寺が移ってきたためだという。その一帯が武蔵野台地の東端の眺望の良い位置にあったため、後に景勝地として人気を博していった。 江戸屈指の眺望を誇った名所・道灌山もある。現在の西日暮里公園の辺りで、標高23メートル。周辺では最も高所だ。 道灌山の地名の由来は太田道灌の出城があった、または天王寺の開基・関道観の居所であったなどの説がある。台地の頂点に当たる部分の幅が約10メートルと狭いため、東に富士山、西に筑波山がよく見えた。 道灌山は秋になると「虫聞」、つまり虫の鳴く名所としても栄えた。夏の終わり頃、夕涼みを兼ねてやって来る庶民が後を絶たなかった。 谷中銀座や歴史ある寺院──風流な名所が数多いのが、日暮里と西日暮里の特長だ。