【足立区バラバラ殺人】生徒から人気の女性教師(26)が警察官の夫(28)を殺害→世間からも同情を集めたワケ(1953年の事件)
プロポーズは成功したけれど…
1949年夏、富美子は伊藤が住む警察の寮を訪ねプロポーズを受ける。即答は避けたものの、以降、伊藤を慕う気持ちは日に日に増していく。そのころ、彼女が伊藤に出した手紙が後に新聞で公開されている。 〈忠夫さん、危ない所には絶対に行かないでね。もし警察官の名の下にそうした行動をとらねばならない時は、弱虫のようですけれど、巡査を辞めてください。私はどんなことをしても、離れるのはいや。私を泣かせないでね。私を置いてどこへもいらっしゃらないとは信じていますが、離れないでね。富美子。私の大事な忠夫さまへ〉 1951年春、富美子は大阪から上京、板橋区の志村第三小学校へ転勤すると同時に、結婚を視野に入れ伊藤との同棲生活を始めた。自分は小学校教師で、伊藤は現職の警察官。安定した暮らしが送れるとの見込みがあったことは言うまでもなく、近いうちに富美子の母親と弟も同居するという頼み事を伊藤が快諾してくれたのも安心だった。 富美子の仕事は上京してからも順調で、学校側の評価は高く、児童からも慕われる。が、私生活では予想だにしない現実が待っていた。真面目で優しい、自分に一途な警察官だと思っていた伊藤が同棲を始めてまもなく、実際は極めて素行の悪い人間であることが発覚したのだ。 【なぜ?】真面目な女性教師(26)が“2歳年上の内縁夫”をバラバラ殺人…彼女の母親も「共犯者」になったワケ(1953年の事件) へ続く
鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載)
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