朝ドラ『虎に翼』多岐川幸四郎のモデル・宇田川潤四郎は有能すぎる判事だった! 戦争孤児のために奮闘した「家庭裁判所の父」の半生とは?
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は第11週「女子と小人は養い難し?」が放送中。佐田寅子(演:伊藤沙莉)は、家庭裁判所設立準備室に異動になる。たった2ヶ月で2つの組織をまとめなければならないなか、準備室長を務める多岐川幸四郎(演:滝藤賢一)の言動に戸惑うばかりだ。そんな多岐川だが、モデルになっているのは「家庭裁判所の父」と呼ばれる宇田川潤四郎氏である。今回は宇田川氏の来歴と功績をご紹介する。 ■戦争孤児を救うために献身的に働いたエリート裁判官 宇田川潤四郎氏は明治40年(1907)、東京生まれ。ちなみにその頃の日本では東京株式相場が暴落し、日露戦争(1904~1905)後の恐慌が始まろうとしていた。 宇田川氏は昭和4年(1929)に早稲田大学を卒業し、高等試験司法科に合格して裁判官となった。その後、満州事変を経て昭和7年(1932)に満州国が建国されると、そこに派遣されている。『満洲国官吏録』によると、満州では、新京高等法院の審判官(裁判官)兼新京地方法院審判官を務めていた。後に司法部職員訓練所の中央司法職員訓練所教官も務めていることから、優秀な人材であったことが窺える。 終戦後、妻と子供らと共に引き揚げてきた宇田川氏は、巷に溢れかえる浮浪児らの悲惨な現状に愕然とした。当時の日本には約12万人もの戦争孤児がいたといわれているが、保護施設は到底足らず、多くの児童が道端でどうにかその日の命を繋ごうとしている状況だったのだ。一説には収容施設に定員の約3倍の児童が押し込まれることもあり、脱走する子らもいたという。この光景が、その後の宇田川氏の活動に大きく影響したことは言うまでもない。 昭和21年(1946)、宇田川氏はまず大阪地方裁判所の裁判官に就任し、さらに京都少年審判所の所長を務めることになった。まだまだ戦後の混乱から抜け出せず、人も物資も施設も不足するなか、彼は大学に自ら足を運び、学生らに協力を仰いだ。行くあてがなく非行に走らざるを得ない子供たちの相談にのり、非行防止の指導(保護観察)やケアをしてもらえないだろうかというものだ。こうして始まったのが「BBS(Big Brother and Sister Movement)運動」だった。作中で寅子の弟・猪爪直明(演:三山凌輝)が大学の仲間と共に行っているボランティア活動がこれにあたる。 さらに宇田川氏は少年保護施設の設立を目指し、これまた自ら敷地を探すなどして積極的に行動。宇治少年院を開設するに至っている。 そのバイタリティと功績が認められ、昭和24年(1949)1月1日に東京家庭裁判所ができあがると、最高裁判所家庭局長に任命された。そこでもリーダーシップを発揮し、調査官制度の創設や有識者を含めた研究会の開催、まだ日本に馴染みのなかった家庭裁判所のPR活動などを推し進めていったのである。 <参考> ■『満洲国官吏録』(1939,国務院総務庁人事処編纂) ■『東京家庭裁判所委員会報告~家裁70周年その歴史と理念~』(2019,大竹寿幸)
歴史人編集部