俳優・柴本幸さん、アメリカ移住し「笛吹き」として活動…「笛との出会いは運命」
幼稚舎卒業後の進学先の慶応義塾中等部にはリコーダークラブはなかったので、中学からは、個人的に指導を受けた。リコーダーの全国大会で毎回金賞をもらうほどの腕前になった。2000年の慶応義塾女子高2年のときには、「第21回全日本リコーダーコンテスト高校生独奏の部」で金賞となり、その結果、慶応義塾長賞を受賞したこともあった。
大学生になり、柴本さんは、俳優を志すようになった。幼い頃、映画好きだった祖父と往年の名画をよく見ていた影響もあったという。「俳優だとキャサリン・ヘプバーンやゲイリー・クーパー、監督だと溝口健二が好きですね」。役者になりたいと思ったのは、「自分も作品の一部になりたいと思ったんです。元々人前に立つことがあまり得意ではないので、表舞台に立ちたいと思ったわけではないんです」。役者を目指し、また役者としての仕事が増えていく中でリコーダーとは縁遠くなったが、30歳頃から、旅先にリコーダーを持っていき、演奏するなどしていた。
ネットで見た写真がきっかけ
ロサンゼルス移住のきっかけは何だったのか尋ねると、「直感ですね」と笑う。「私は、いろいろ考えすぎて疲れてしまうことが多いんです。いろいろ考えた結果、最後は直感を信じることがあります」。柴本さんは、以前から国をまたいで生きていきたいという気持ちはあったという。
移住に至るまでには、いくつかの直感の積み重ねがあった。2017年1月、仕事の予定が急に変更になり、1か月ほど時間が空いた。その時間を利用して、ヨーロッパに暮らす外国人の友人たちに会いに行った。大学時代、短期留学した時に知り合った友人たちは、フランスの田舎でアーティストをするなど、「いろんな生き方」をしていた。その姿を見て、「自分の価値観や思考って、すごく限られているんじゃないかと思ったんです。いったん日本を出て、外から日本を見たいという思いになりました」。
柴本さんは俳優として様々な作品に出演していたが、自分の「実力不足」を痛感することがあったという。「日本で仕事をしているとき、周囲の皆さんが私のために尽力してくださっても、自分が期待に応えられていないのではないかという、もどかしさや申し訳なさを常に感じていました」。ヨーロッパの友人訪問から帰国した後は、仕事に戻り、ドラマ撮影のため台湾に滞在したが、そこでも、周囲の期待と自分の能力とのギャップを感じていた。撮影終了後も中国語を学ぶために滞在し続けたが、2018年に一枚の写真をたまたまネットで見て、「直感で、ロサンゼルスに行こうと思ったんです」。