「ご遺体処置用品のAmazon」を目指して 葬儀を支える会社が事業開拓で売り上げ3倍に
人材を適正評価する仕組みに
もうひとつの「化粧」が環境づくりです。岩田さんは2021年に人事制度を整えます。 「きっかけは右腕だった社員が辞めたことにありました。うちは午後5時にはあがれるし、ノルマもない。右腕と思うくらいでしたから関係も悪くなかった」 「さんざん悩んでようやくわかりました。マズローの欲求5段階説でいうところの4(承認欲求)と5(自己実現欲求)が乏しかったことに。人事系のコンサルに入ってもらって適正に評価する仕組みをつくりました」 同年には慣れ親しんだ墨田区を離れ、江戸川区に会社を移します。社屋はブルックリンをイメージして古い倉庫をリノベーションしました。ブルックリンは北米技術研修で訪れた街でした。 黒を基調としたそのオフィスのたたずまいは、家業をブラッシュアップする岩田さんのありようと重なります。
ネットワークづくりをバックアップ
事業を拡大するかたわら、進めていた種まきが業界全体の技術の底上げでした。 「葬儀業界は横のつながりが希薄でした。独り立ちしたあとは学ぶ機会が限られていました。彼らが知見を広めれば、回り回ってイワタの商品も求められるようになる」 岩田さんは2017年、東京で「エンバーミング・ご遺体処置座談会」と題したイベントを開催します。最先端の情報、ならびに道具を提案するもので40人あまりが参加しました。参加者が交流する時間も設け、ネットワークづくりもバックアップしました。現在はフェイスブックでもグループができています。 年1回の開催で、回を重ねること7回。2023年にはおよそ70人の応募がありました。同年、地方での開催にも踏み切ります。葬儀業は不測の事態に対応する仕事です。近場で開催してほしいという声に応えるものでした。沖縄、福岡、大阪で開催したところ、それぞれ20人前後の参加がありました。
急成長で取引先は500社に
もともと父とは反りがあわなかったという岩田さんは、大学を卒業するとリクルートに入社し、活躍します。そしてヘッドハンティングされ、大手を渡り歩きました。 順風満帆を絵に描いたような生活を送ってきた岩田さんでしたが、30代も折り返し地点を過ぎると実家のことが頭をよぎるようになります。100年続いた家業がなくなってもいいのか――。 海外赴任を打診されたタイミングで父とひざを突き合わせて話しました。父は父で体調を崩しており、いつもの威勢の良さは影を潜めていました。こうして承継への一歩を踏み出しました。 しかしながら親子関係は悪化の一途をたどります。クビをいい渡されたこともありました。実際に3カ月の無職期間も経験しています。結婚したばかりで「この時ばかりは進退窮まりました」と、泣き笑いの表情を浮かべました。 「いろいろなことがありましたが、フロンティアすみだ塾を紹介してくれたことだけは感謝しています。イワタの第二フェーズがそこから始まったのは間違いありませんから」 取材時は妻が出産で里帰りをしているタイミングで、「毎週のように嶋田さんの家に転がり込んでいるんですよ」といって笑いました。フロンティアすみだ塾は公私ともに支えになっているようです。 岩田さんは思い出したように付け加えました。 「結婚の許しを得に妻の実家にお邪魔しました。家業に入ってほどなくのことでした。お義父さんの反応はもろ手を挙げて、というわけにはいきませんでした。重苦しい空気のなか、お義父さんは尋ねました。君の会社の年商はいくらかね、と。わたしは思わずハッタリをかましました」 三ケタに遠く及ばなかったイワタの取引先は500社を超え、売り上げは家業入りしたころの3倍に膨らみました。ちょうどハッタリに追いついた計算です。
エディター・ライター 竹川圭