「なぜ私が不合格になったのか」――医学部不正入試、被害女性の苦悩と闘い
11月、同大から「入学意向確認書」が届き、はじめて自分が被害者だとわかった。三浦さんはそのときの心境をこう振り返る。 「(不合格になった)あのときの自分はダメなんだという苦しさや、それでもやっぱりもう1年がんばりたいとまわりの人に頭を下げて、お金も借りて踏ん張ってきたこの1年はなんだったんだろうって。時間は戻ってこないのに」 翌月には順天堂大学から連絡があった。三浦さんが受験した5校のうちの1校で、一次試験で不合格になっていた。同大から「不合格は誤りだった。その補償として受験料6万円を返還する」と言われた。三浦さんは「二次試験を受ける機会が奪われるのは不公平だ、機会を与えてくれないか」と訴えたが、受験を希望する場合は一次試験から受けてほしいと言われた。
さらにその翌月、昭和大学からも連絡がきた。二次試験で不合格になっていたが、再調査の結果、合格していたと通知された。3年目の受験が目前に迫った、2019年1月のことだった。 「3校目の昭和大学から連絡がきた時点で、すごく腹が立ってしまって。その時点で、受験が終わったら民事訴訟を起こしたいと(弁護士の)先生にお伝えしました」 三浦さんは、大学の対応が不誠実だと感じていた。例えば、昭和大とのやりとりではこんなことがあった。追加合格を告げる電話で、入学を希望する場合の事務手続きの説明があった。 「電話をかけてきた人が寮の説明をするときに、『若い子と一緒に入る寮ですけどね』みたいな、ちょっと笑ったような感じで言われて。なんでこの人笑ってるんだろうと思いました。それから、入学希望の場合、返答期限は1週間後と言われたんですが、そのとき、別の大学の一次試験が迫っていたんですね。その日までに返答するのは難しいと伝えると、じゃあその翌日と、一方的に決められて。どうしてこんなふうに、上からものが言えるんだろうと思いました」
3大学に民事訴訟を起こす
結局、昭和大にも東京医大にも進まず、順天堂大も受験せず、3年目の受験で合格した別の大学に入学した。そして、2カ月後の2019年6月、3つの大学に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。 「合格してよかったよかった、とはなりませんでした。せっかく問題が明るみに出たのだから、変革のきっかけの一つになれたらという気持ちがありましたし、なによりも、どうして私が落とされたのか、それはどういう経緯だったのかを知りたいと思いました」 三浦さん以外にもこれまでに、医学部入試の不合格をめぐって裁判で争われたことがある。 2005年に群馬大学医学部を受験した女性(当時55)が、合格者の平均点を10点以上上回ったにもかかわらず不合格になり、入学許可を求めて前橋地裁に提訴した。面接の評価が争点となったが、大学側は内容を開示しなかった。前橋地裁は「年齢差別があったという証拠がない」として、原告の請求を棄却。東京高裁も一審の判決を支持し、確定した。 面接や論文など、点数で表せないところで、仮に、女性だからとか年齢が若くないからという理由で×がつけられたとしても、大学側が開示しなければ、受験生がそれを知るすべは今のところない。