文化と暴力は地続きだった…ある演奏会で味わった「ガツンと殴られたような経験」から考えたこと
舞台にあがったその人物の正体とは…
1時間ほどで演奏が終わり、「休憩時間」の案内が流れる。その日の演目は二部構成で、後半は先ほど舞台で紹介された“有名人”カステル氏のブックトークがあるという。カフェに戻ってゆっくり食事を済ませ、会場に戻った。促されるまま前方に着席した瞬間に気付いたのは、どうやら彼らが話題にしているのはクレズマーや音楽の話ではなく、国際政治のことであるらしいということだった。イスラエル・パレスチナ情勢にも話が及ぶ。「ハマース」という単語が聴こえる。「自衛戦争」という言葉も。いかにも専門家であるという様子で、このイスラエルとハマスの戦闘が、ロシアやウクライナでの出来事につながるのか、サイバー空間でどのような攻撃が日々ヨーロッパで繰り広げられているのか、ただ意味を追うだけなら客観的にも聴こえる説明を加えていく。 急いで「ロベルト・C・カステル」の名前をスマホで検索し、とある英語のインタビュー記事にあるプロフィールに目を通した――「イスラエル民主主義研究所(Israel Democracy Institute)の元研究員で、非対称戦争、地政学および軍事革新が専門。1990年から2009年まで、イスラエル治安当局(Israeli Security Forces [どの機関かは明言せず])の役職を歴任。2009年より、文民安全保障の高官を担う。また、イスラエル国家テロ対策部門の予備の交渉人」。イスラエル情報機関シンベトの顧問という記述もみかけた。2016年からハンガリーのメディアに安全保障の専門家として出演しているとのことで、実際にYouTubeで検索をかけてみる。ロシアのウクライナ領への全面侵攻以降、今般のイスラエルのガザ地区における軍事行動に至るまで、かなり頻繁に発信を行っている様子が窺える。現在はもっぱらハンガリーで暮らし、活動しているようだ。 音楽の素晴らしさに酔いしれていた頭を、いきなりガツンと殴られたような気がした。文化と暴力は、やはり地続きだったことを思い知った。 目の前にいる人物の経歴を知って、途端にその場にいるのが苦しくなった。それでもなかなかタイミングが掴めず、結局、聴衆からの質問が始まってからしばらくして、ようやく店を後にした。 店を出て人通りの多い道を抜け、車道との分かれ道に差しかかると、ライトアップされたドハーニ街シナゴーグが視界に入ってくる。この荘厳なシナゴーグは19世紀半ばに建設された、ヨーロッパで最大の敷地面積を有するユダヤ教の宗教施設である。現在ではハンガリー・ユダヤ博物館(*2)も併設されている。第二次世界大戦時、ハンガリーの時の政権はナチスと軍事同盟を結び、枢軸側に属していたが、その間にナチスを信奉する極右グループによってシナゴーグの建物が大きく損壊するといった事件も起こった。シナゴーグの再建が進んだのは、1989年の政治・経済の体制転換(通称「東欧革命」)のあとだ。 ドハーニ街シナゴーグが位置する一角が「テオドール・ヘルツル広場」と名付けられたのは1994年のこと。政治的シオニズムの祖の名前が冠された理由は、ユダヤ教の実践の場が存在するからというだけでなく、シナゴーグを建設する際に取り壊された家屋のひとつが、ヘルツルの生家であったという事実にもよる。 (そう、テオドール・ヘルツルこと「ヘルツル・ティバダル(Herzl Tivadar、ハンガリー人は日本語と同じく姓・名の順に名前を記載する)」はハンガリー系ユダヤ人だ。ヘルツルはブダペシュトからウィーンへの移住当初、「ネオログ派」という現地マジョリティ社会への同化に肯定的なユダヤ教の立場を支持していたのだが、このネオログ派はまさにハンガリーを中心に生まれた進歩的な一派である。) 2024年1月7日から21日まで、前年10月7日のハマースの奇襲攻撃を受けて、この広場は「10月7日広場」に期間限定で改名され、イスラエルで殺害されたひとびとや人質の解放を訴える連帯が叫ばれた。改名を発表したハンガリー・ユダヤ共同体協会(Magyarországi Zsidó Hitközségek Szövetsége、通称Mazsihisz(マジヒス))のFacebook投稿には、赤白緑のハンガリー国旗と白に青星のイスラエル国旗のアイコンがともに並び、「ユダヤ人国家との連帯を表明するために、ヘルツル広場にみんなで集まろう!」という集会の呼びかけも行った。