『化け猫あんずちゃん』が生み出された意義を考える 2024年の日本アニメ映画の最重要作に
『化け猫あんずちゃん』において最も意外な、いまおかしんじ脚本によるストーリー
さらに本作には、アニメーション映画『イリュージョニスト』(2010年)、『レッドタートル ある島の物語』(2016年)のスタッフであるジュリアン・ドゥ・マンが、美術監督と色彩設計を手がけている。これらの作品は、いずれも日本の作品では見られないような、“絵画的”といえるような美しさが印象的だった。 日本のアニメーション映画における背景の表現は、写真のようにリアルで精緻な“写実性”が求められる場合が少なくない。もちろん、それ自体は悪いことではないが、非凡な才能や豊かな知識を持っていなければ、ただ細かく描いただけの魅力のない絵になってしまうこともある。ここでも自覚的なアプローチが存在しなければ、美術はつまらない事務作業に堕してしまうのである。 本作は、日本的な背景美術や実写素材を意識してはいるものの、その色合いは淡く繊細で、実在感、立体感をリアルに感じされるものというよりは、印象派の絵画などを連想させる、光や空気を強く意識した仕上がりになっている。その結果、明るいパステル画のような楽しさや幸せな雰囲気が醸成され、それが田舎の牧歌的な時間の流れに馴染んでいるように感じられる。 このように、意外な才能を結集させているところが本作の特徴的だといえるが、最も意外なのはストーリー面なのではないか。脚本に、ピンク映画を中心にキャリアを積んできた、いまおかしんじを起用しているのである。これも『苦役列車』で山下監督と組んでいたことからのプロデューサーの思惑であることは想像できるが、子ども向けでもある本作での人選としてはかなりチャレンジングだといえよう。そして、原作にはなかった、かりんちゃんや亡くなっている母親をめぐるファンタジックな物語を主軸に、親子の断絶や思春期の苦しみなど、悲痛さすら感じさせるオリジナルストーリーが展開していくのである。 その結果として、ビジュアルのあたたかさとは裏腹に、物語の面では原作にはそれほど感じなかった、殺伐とした雰囲気が絶えず漂う内容となった。田舎の牧歌的な空気を、かりんちゃんというオリジナルキャラクターが、ナイフのように切り裂いていくのである。そんなかりんちゃんも、母親が不在となり借金漬けの父親が消えるという仕打ちを受けていて、ゆったりと生きている人々を歪んだ目で見てしまうのも無理からぬところがある。 ファンタジックだと前述したが、オリジナル展開のなかに登場する、地獄の鬼や閻魔は暴力団そのもののように描かれ、ヤクザの拷問で生死をさまよう、かりんちゃんの父親の境遇を、ある種の暗示として浮かび上がらせている。『コミックボンボン』の連載作品として、原作にはこのような殺伐としてやりきれない世界観は提示されていなかったが、この部分については、過剰と思えるほどに大人向けのビターな味わいを現実の世知辛さともに観客に印象づけているのである。 この殺伐さは、『苦役列車』や、いまおかしんじが監督として撮った『れいこいるか』(2020年)をも想起させるが、こうしたアプローチは、社会から隔絶され取り残された立場の人間を映し出すという意味で、逆説的な優しさを感じさせる部分もある。情緒のなかで楽しく朗らかに生きる人々を描くだけでなく、追いつめられ絶望の淵にいる人間が、どうやれば前を向けるかという葛藤の描写を中心に据えられたことで、原作とは違ったテーマが設定されているといえよう。そう考えれば、本作の殺伐さは現代の日本社会の反映だと考えることができる。 近年、原作漫画を基にした日本のアニメーション作品は、脚本家がオリジナルストーリーを書いたりテーマの変更などを試みることが批判の的になりがちだ。本作でそれが許されているのは、このケースにおいては、もともと原作のファンが限られていることや、原作通りでなければならないと考えるファンがあまりいないからだろう。 基本的に、原作漫画と劇場用アニメーションは違う媒体であり、楽しませ方も異なる。なので、場合によっては本作のようにストーリーを大幅にアレンジしたり、原作に全くないような展開を用意することもあっていいはずだ。むしろ、原作をそのままトレースするような内容に終始するのであれば、原作ファンへのサービスとしての意味が強くなり、より広い領域で作品を楽しませることが難しくなってしまう。付け加えたり変更した脚本の内容が原作と比較して不出来であれば批判されるのも当然だが、内容を変更すること自体を批判するのはナンセンスである。 本作の脚本で一点、引っかかるところがあるとすれば、かりんちゃんの両親の描写についてだ。母親を献身的な聖母のような存在として、父親を無責任で放任的な存在として表現し、それをある程度好意的に、少なくとも許容できる構図として着地させたストーリーは、男女の性質や役割についての固定的な観念を印象づけるものとなっているところがある。子どもを対象としている本作において、果たしてこういった従来の価値観に基づいた人情話のようなものを提供する必要があったのかという疑問が発生するのである。 とはいえ他方では、家父長的な構造だったり、実の親に育てられなければならないという思い込みから脱却するような考え方を物語のなかで提示できていて、同じように苦しい状況にある子どもたちの救いになる点が存在することについては評価できるところがある。子どもにとって辛い試練が降りかかる本作の物語ではあるが、主体性を持って生き方を選ぶまでに成長するかりんちゃんの姿には、子どもはもちろん、大人もまた学べる部分があると感じられるのだ。 いずれにせよ、本作『化け猫あんずちゃん』が、現代の日本において稀有なアニメーション映画であり、これまでにない試みが多数見られる挑戦的なものとなったことは確かなことだ。とくに、動画配信サービスの発達により、これまで以上に日本のアニメーションが世界で楽しまれる状況が生まれているなか、こういった一般に広く楽しまれるような作品づくりは必ず需要が高まっていくはずで、ともすれば今後の日本のアニメ界の浮き沈みを決定づける要因になるのではないかと考えられる。その意味において本作は、2024年の日本のアニメ映画のなかで最も重要な作品として記憶されることになるのかもしれない。
小野寺系(k.onodera)