「五輪の父」クーベルタン男爵はなぜ母国フランスでの評価がいまひとつなのか? 一族の子孫らが語った意外な理由、継承すべき理念とは
日本選手が金メダル20個と活躍したパリ五輪は、大観衆の熱狂とともに幕を閉じた。今回の大会は「近代五輪の父」と呼ばれるフランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863~1937年)の生地に1世紀ぶりに戻っての開催だった。男爵は、紀元前にギリシャで催されていた古代五輪の復興を提唱し、1896年の第1回アテネ五輪の開催を主導。大会シンボルの五輪マークや近代五種も考案した。 【写真】東京五輪・パラリンピック組織委トップ森氏の女性蔑視発言、ジェンダー平等に本格的な取り組みを 21年
パリ中心部のセーヌ川で行われた今大会の開会式では、近代五輪創始者の男爵に敬意を込め、映像で功績を振り返る場面もあったが、母国での評価は意外にも高くない。なぜ地元で人気度が低いのか―。一族の子孫らを訪ねてその理由を聞いてみた。(共同通信=田村崇仁) ▽ノルマンディーの城館 クーベルタン男爵はスポーツを通じた世界平和の実現という崇高な理念を掲げ、近代五輪を創設した。名門貴族の出身で歴史上の偉人でもある。 日本スポーツ界では、日本オリンピック委員会(JOC)や日本スポーツ協会、多くの競技団体が事務局を置く東京都新宿区の「ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア」の前に銅像が建てられるほど有名だ。 男爵が幼少期を過ごしたフランス北西部ノルマンディー地方ミルビルに一族の子孫が住んでいると、理念を継承する国際団体から聞いた。パリから電車で約2時間。緑豊かな環境に囲まれ、重厚な石造りで歴史的な趣がある城館を訪れると、当主のジャック・ド・ナバセルさん(78)が取材に応じてくれた。
「残念ながらフランスの政府もメディアもあまり熱意がない。クーベルタンは日本や中国、スイスでは大歓迎されているのに、フランスではそれが実現できない」。ナバセルさんは少し寂しそうに語った。「当時からフランス当局とクーベルタンはあまりうまくいっていなかった。彼のスポーツに関する先進的な考え方が受け入れられなかったのです。常に批判するフランス文化の問題ともいえる」 ▽スポーツを通じた教育改革を志す エネルギッシュで好奇心旺盛だった男爵は幼少期に普仏戦争(1870~71年)で母国の敗戦を目の当たりにし、沈滞する国の状況を打ち破るためイギリスで学んだスポーツを通じた教育改革を志した。それが平和のための近代五輪を創設する礎となる。 城館の広大な敷地にある池でボートをこぎ、乗馬やフェンシング、ボクシングなど多種多様なスポーツにも取り組んだという。 パリ五輪開幕20日前に迫った7月5日に聖火リレーが城館にも立ち寄り、歓声を浴びる場面があったものの、地元メディアの関心は熱を帯びなかった。