母となった鈴木涼美が気づいた「母娘関係に芽生える恨み」 SMプレイ同様、娘にも命を預ける相手を選ぶ自由がある
作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 【写真】肩出しニットに虚ろな瞳…母を亡くした頃の鈴木さん Q. 【vol.29】非難ばかりしてくる母との関係に悩むワタシ(20代女性/ハンドルネーム「あんこ」) 同居している母との親子関係に悩んでいます。母は昔から、私が不満や愚痴を吐露しても共感や味方をしてくれることはなく、私を非難することばかり言ってきます。最近も仕事の愚痴をこぼしたら「お前が悪い、みっともない」と言い返されました。そこから派生し、私の友人関係や恋愛に関することまでも口汚い言葉で非難してくる始末。現在も同居していますが、ほとんど口を聞いていません。母とどう向き合えばよいでしょうか? A. 向き合わなくてもいいけど、観察しておいて損はない 四十年ちょっとの人生のうち最近二か月を除いてずっと母娘関係を娘の側からのみ体験してきました。母が他界したのは私が三十三歳のときですが、その後も不在という形で、ある意味生きているより強い影響力を持って私に関わってきます。主張をはっきり口に出して議論するのが好きな母と、どちらかというと黙って考え込むタイプの私は幼年期から思春期にかけても幾度となく対立し、大人になってもお互いの違いにいらだつことは多かったので、母に非難されるというお悩みに少し共感するところがあります。 母と娘はまるっきり他人でありながら、かつて肉体を共有していたわけだし、生まれてしばらくは命を預けているような関係ですから、普通の他者として相手を尊重するには最初からこんがらがっていることが多い。たとえばSMプレイで緊縛される者は縄を扱う者に一定時間命を預けている状態ですが、そのためにはサディストとマゾヒストの強い信頼関係、もしくは店の中であったり金銭の授受があったり何かしら信頼を担保するための仕掛けや契約が必要です。
■娘の自由には「精神的な母殺し」が必要 娘たちはそれを、まだ相手を見極めたり選んだりする能力がない、生まれてすぐのうちからするわけです。そしてそこから結構長い期間、命を握られた状態で親の都合によって育てられることになります。別に娘のほうはオーガニックにもビーガンライフにも興味がなくとも、親が信じていればそういったものを摂取させられますし、多少飢えてもスリムがいいと思っていても、それを自分でコントロールする前に親によって太らされたりするのです。最初からちょっと恨みがある状態で関係がスタートします。 そこまでは息子でも娘でも同じなのだけど、さらに母と同じような機能を持つ肉体に育っていく娘の場合は、母の選択が必ずしも唯一のものではなく、別の生き方や楽しみの方法があることを知るので、それまで自分を縛り付けていた母の好みや選択が絶対ではないと身をもって体感します。そこでやはり自分とは違う母に対してより一層の恨みが芽生えることもあります。 母のほうは母のほうで、かつては自分に命ごと全力で寄りかかってきた存在が、ある日突然、私はワタシ、あなたとは関係ない、みたいな顔をして歯向かってくるわけです。このあいだまで私の腹の中や腹の上で無力に泣くだけだったくせにという恨みができるのはある意味当然で、かつてと同じように自分の選択によって娘を縛ろうとしたり、娘の人格を否定しようとしたりする者も現れます。あなたの意見や仕事の不満に対して否定的で、あなたを責める母親にも、どこか自分の所有物が一丁前に自分の意見なんて持ちやがってという気持ちがあるのかもしれません。 娘が真の意味で自由になるには、精神的な母殺しが必要なのだと思います。母との確執、そして心の中の姥捨てによる和解を描いたエッセイでは、佐野洋子さんの『シズコさん』など参考になるかもしれません。かつてドラマ化もされた萩尾望都さんの漫画『イグアナの娘』もそういったテーマを真っ向から描いています。