「迷惑だけはかけてない」石田純一69歳、敗者復活という生き方 #昭和98年
その思いがなくなったら、もう“バイバイ”でしょうね
自分で言うのもおかしいですけど、自分だから言えると思うのは「人生は常に敗者復活」という言葉です。今のご時世、それがなかなか許されない。一発アウトの世の中にもなっていますが、敗者復活がない世の中は本当に豊かでやさしい世界なのか。それも強く思います。 そして、本当の意味の敗者復活を果たすには、たたかれた世界で名誉挽回するしかない。それは強く感じてきました。 芸能の世界にいて、その中でとことんたたかれてきた自分ですけど、それを本当にリカバリーするには芸能の世界の結果で見せるしかない。僕なら、役者としての領域で見せるしかない。高校野球じゃないですけど、甲子園の負けは甲子園で取り戻すしかないんだと。 だからこそ、数年前から製作に取り組んでいる映画も、やる以上は「これだけのものを作った」と明確に示さないと意味がないとも思っています。 これから役者としてどれだけのことができるか分かりませんけど、まだまだ回復しないといけない失地がありますから。だからこそ、69歳になっても止まるわけにはいかないし、やるしかないと思えている。 もし、その思いがなくなったら、自分みたいな人間は、もう“バイバイ”でしょうね。
今またモテてきてるんです
あと、これはね、もっと感覚的な話だし、何を言ってんだということかもしれませんけど、今また少しモテてきてるんですよ(笑)。 モテると仕事の流れもうまくいきやすい。また、これで同じようなことは繰り返しませんけど、人から興味を持たれるということは自分の状態が上向きになっているのかなと前向きに捉えるようにはしています。 こんなことを言ってると、また舘ひろしさんとか先輩方から「もう少し、スムーズに生きてもいいんじゃないか」と言われるのかもしれませんけど、もうここまで来たら死ぬまで突っ走るしかない。そう思っています。 とはいえ、もうちょっとうまくやってりゃ、そこそこお金くらいはたまっていたかもしれませんが(笑)、そこに縁がない人生だったのは仕方ない。 最後がどうなるかは神のみぞ知る領域ですが、野垂れ死にするときが来るまで一生懸命に進みたいと思います。
___ 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。