「迷惑だけはかけてない」石田純一69歳、敗者復活という生き方 #昭和98年
「不倫は文化」発言の代償
本当にクビが回らなくなるような大変なこと、それがあった後には、必ず次の飛躍するステップがやってくる。それも体感してきました。 それこそ「不倫は文化」のときも仕事がなくなり、引っ越しをするにも引っ越し代もない状況でした。大家さんに家賃の支払いを相談するんですけど「待ってください」と言っているものの、返すアテもない。良くないことですけど、もう人生を終わらせたほうがいいんじゃないか。そんな考えにも何度もなりました。 ただね、それが自分へのリトマス試験紙というか、そういうことがあるたびに「ここを耐えられますか?」と何かから尋ねられている感覚があったんです。 自分は最後まであきらめない。そうしていると、本当にありがたいことに誰かが手を差し伸べてくれる。その繰り返しで何とか今まで泳ぎ着いた感じです。 手を差し伸べてもらうコツなんてあるものではないし、コツでやるものでもない。でも、結果的にそこに結びつく何かがあるとすると「いつでも、どこでも、誰にでも、きちんと接する」。これに尽きると思います。 何一つ変わったことではないんですけど、それをただただシンプルに徹底してやり続ける。お仕事を一生懸命にやるのは当たり前。それプラス、人とのつながりを絶対にサボらない。 もちろん、人それぞれ考え方があるとは思いますけど、僕の場合は本当にダメだと思ったときに、誰かが助けてくれました。きれいごとを言うつもりはありませんけど、一生懸命やっていると少しずつワクワクしてくるし、一心不乱に取り組んでいると不思議と誰かが助けてくれるんですね。
もう売るものもなくなったし(笑)
あとはね、「失敗のまま終わらせない限り、失敗じゃない」。この思いもありました。失敗的なことでも、それを糧に進めたらプラスだと。 コロナ禍のときの騒動も、かなり苦労しました。正直、仕事もかなり減りましたし、当然収入も落ちました。 ウチの奥さんからしたら「いろいろある人間だけど、稼ぎがあれば多少遊んでいても大目に見てあげる」というのもあったかもしれませんけど、稼ぎもないのかよと。そういう思いにさせた部分もあったと思います。 家を売り、車を売り、靴も時計も売って、その都度やってきました。わざわざ声高に言うようなことではありませんけど、誰かからお金を工面してもらって迷惑をかけることはやらずにきました。もう売るものもなくなったし(笑)、ずいぶんバカにもされましたけど、なんとかそこのラインだけは崩さずにきています。