池松壮亮が語る「俳優としての責任と覚悟」――感じた違和感を口にすることの大切さ
――池松さんは本作の撮影以前に、奥山監督とは「エルメス」が制作したドキュメンタリー作品で顔を合わせていますね。その時の印象はいかがでした?
池松:そこで奥山さんの才能やセンスに触れ、その人柄にもとても信頼できるものを感じました。眼差しと視点とモラルの高さを感じ、映像として映すことで何を見つめようとしているかということに惹かれるものがありました。ドキュメンタリー作品だったので、ほとんど互いにアイコンタクトしながら即興で映像に刻んでいくような作業でしたが、そのとき感じた相性の良さから、きっとこの人とはいつか映画を作ることになるのではないかという予感がありました。こんなにすぐに実現できてとても幸運だったと思います。
取材の場に私服で出る理由
――今回、その機会が訪れたわけですね。映画からも池松さんと奥山監督の信頼関係が伝わってきました。ファッションについて伺いたいことがあるのですが、いつも取材の場には私服で出られているそうですね。今日もそうですが、そこには何かこだわりがあるのでしょうか。
池松:あまりそのことについてこれまで話すことは控えてきたんですが、そうするようになったのは7、8年ほど前からです。日本の俳優は他の国と比べてかなり取材量が多く、取材の時はスタイリストが入って、媒体ごとになるべく被らないように衣装を変えることを求められます。そのことを繰り返しているうちに、作品や演じることとは関係のないところで、この世界の消費を無駄にあおっているような気持ちになり嫌になってしまったんです。役ではないところで借り物の服を着飾ってペラペラ話すことで、自分を偽っているような気持ちにもなりました。そんなことを考えていた時に、スタイリストの北村道子さんに「何でアメリカやヨーロッパの俳優はVネック1枚で自分の言葉で喋っているのに、日本の俳優は着飾って同じようなことばかり言ってるの?」と言われてハッとしました。その通りだと思いました。それから、日本映画は長年製作費に苦しんできましたが、当然ながら宣伝費にも苦しんでいます。もっと別のところにお金を使った方が作品をまっすぐ宣伝できるのにと思っていました。そのような理由から、スーツが必要なとき意外はほぼ私服で臨むようになりました。どうしても着るものがない時は自分で知り合いのブランドから借りてきています。ですがこれはあくまでいま現在の僕の感覚によるもので、全体がそうあるべきということは思っていません。表に立つ機会のある人にとって衣装は必要不可欠だと思います。でもちょっと過剰かなとは思っています。