池松壮亮が語る「俳優としての責任と覚悟」――感じた違和感を口にすることの大切さ
池松:これまで兄弟役と恋人役をやった俳優は男女ともに若葉くんだけです。そこにはご縁というか、特別なものを感じています。「愛にイナズマ」で兄弟役を演じたことで、今も体感として残っている心の親密さのようなものを、今作の2人の関係性に上手く活かすことができるのではないかと思っていました。
――荒川と五十嵐が恋人同士であることを自然に観客に伝える。この映画では必要以上に説明をしない、余白を大切にした演出が印象的でした。
池松:いかに2人の関係性を説明せずに分かってもらえるか、その関係を自然に見てもらえるかというのは、奥山さんとそのあんばいについてたくさん話しました。吃音症を持ったタクヤや、父親が不在のさくらについてもそうでした。マイノリティーと呼ばれるそれぞれをいかにノーマルにこの物語の世界に存在させられるか、というのは今作の大きなポイントでした。彼らを俳優が表面的になぞるようなお芝居は選びたくなかったですし、セリフで伝えることや説明的なお芝居を排除していくことを奥山さんも僕も選びたいと考えていました。それよりも、荒川でいえば五十嵐とどんなふうにこれまで過ごしてきたのか、2人の経験や記憶が、2人でいる時の仕草や声、心と身体の親密さに宿ることを目指したいと思っていました。説明しない、説明できない余白をそのまま余白として大切にすることで、情報や言葉が氾濫しているいまの世の中においても確かにある、彼らの沈黙に耳を傾けることができるのではないかと思っていました。
――余白の作り方も独特ですし、登場人物に向ける眼差しの純粋さにも奥山監督の作家性を感じました。
池松:奥山さんの作品からは優しさを感じます。それはありふれた優しさではなく、全然そんなシーンではないのにふと温かい涙が溢れてくるような、痛みや苦しみも含んだ優しさです。物語に向ける眼差しや、人物や自然に向ける眼差し、どれもがとても優しくて、さらにそこからピュアなものをつかみ取ろうとしているように感じます。何か聖なるものに対する反応が強くて、聖なる瞬間を映画に刻もうとしているように見えます。20代にして、このような成熟した感性とセンスを持っているのは、ちょっと規格外だなと思っています。天才という言葉では収まりきらない、とても大きなスケールを持った新時代の才能だと思います。