素晴らしい続編だが…前作からの見逃せない変化とは? 映画『ビートルジュース2』考察&評価【映画と本のモンタージュ】
36年後も変わらない潔さ
前作の登場人物たちは歳を重ねているものの、今作では大きな成長も境遇の変化も感じさせない、というか36年前とほぼ同じままなのである。 あのゴス少女だったリディアは、母になっても以前としてゴスのまま、母デリアもあの時のままで唯我独尊アーティスト。もちろんビートルジュースに成長が見られるわけがない。 ここ最近の懐かし映画の続編では、主人公や登場人物に前作公開当時からの年月分の年齢を加算して性格や境遇の変化などでギャップを作り出すのがセオリーだが、今作は登場人物に加齢以外の変化があまり観られないのが驚きであった。今時、潔いくらいに「あの時の映画」のままなのである。 変化がないのは人物造形だけではない。映画のルックそのものも前作と同じであることが、今作のこだわりとして強く感じられる。 前作でも印象深いサンドワームが今作にも登場するが、なんと前作と同じくストップモーションなのである。また霊界の死者たちの姿は手品の脱出に失敗して鎖に縛られたまま溺れた男など、死因が一見してわかるようなユニークな姿をしているが、それもまた特殊メイクや白塗りなど、前作同様に手作り感満載なのである。 もちろん、これらのキモ可笑しいキャラたちはバートン作品にはなくてはならない要素なのだ。
唯一、前作と違っていた点
今作はどこから見ても2024年の新作映画なのに、昔と変わらぬ懐かしいティム・バートン印の味そのままということが最大の魅力だ。もちろんティム・バートンは同じものしか作れないというわけではなく、確実に狙っている。 思えば『バットマン』や『猿の惑星』といった既存の作品も、彼が監督をするとティム・バートン印の映画になってしまうほど、大きな変化をもたらす作家性の強い監督であるのに、自身の続編となるとまったく変化が感じられないというのも面白い。 ただし、前作と大きな変化がひとつだけあった。それは音楽だ。 前作では『ビートルジュース』のアイコンともなったカリプソの音楽が印象的で、なかでも夕食時にデリアたちがハリー・ベラフォンテの“Banana Boat”を歌わされるシーンは前作を語る上で欠かすことが出来ない名シーンだ。 また前作でもっとも白眉なのはエンディングの心地よさである。同じくハリー・ベラフォンテの“Jump In The Line”の軽快なノリとともにリディアが浮かび踊るポストクレジットのシーンは、これまでのどの映画でも味わえない多幸感に満ちていた。 しかし今作では、あのころのカリプソ風味は抑え気味で、代わりにソウルミュージックや、もはやお約束となった、意志とは無関係に歌わされる曲としてリチャード・ハリスの“MacArthur Park”が登場するなど、使用される楽曲は大きくイメージが変わっているため、今作の印象は好みが分かれるところかもしれない。 何はともあれ、『ビートルジュース ビートルジュース』は前作が大好きな人にとっては楽しめる続編として間違いない。そしてビートルジュースは名前を3度呼ぶことで召喚されるので、3作目の『ビートルジュース ビートルジュース ビートルジュース』が作られることを切に願っている。