【高校野球】「公立の雄」を率いた相模原高・佐相眞澄監督が辞任 継承される「KENSO」の魂
時代とともに、アプローチも変えてきた。 「科学的、理論的に、生徒に納得させながら指導していかないといけない。それに加えて基礎的な体力、気力も必要です。ときには不適切にも程がある理不尽な練習も入れていかないといけない。厳しいことも言ってきましたが、のちに卒業生は『高校時代があってここまで来られました』という声を聞き、指導の方法は間違っていなかったと思います」 部訓は「束になれ」。相模原高は県下屈指の進学校であり、県相(けんそう)として親しまれている。野球部からは東大、横浜国立大、筑波大のほか、早慶などの難関私大に入学。「神奈川県立の雄」としての礎を築いた。佐相監督は60歳以降、再任用として指導を続け、65歳で定年となった昨年4月以降も、外部指導者として指揮。躍進をし続ける「KENSO」のシンボルであった。
ステージ4のがんの宣告
血気盛んだった佐相監督の体調に異変が起きたのは、今年の3月末だった。春先以降、体重が落ち、6月に病院で検査を受けると、ステージ4のがんの宣告を受けた。本格的な治療をスタートさせたが、抗がん剤治療が最もきつかったという。それでも、体が動くときは高校生を指導。夏の神奈川大会はベンチで指揮したが、秋の県大会は「起き上がれない……」と試合会場に行くことができなかった。 辞任を決断した。ひとまず、一区切りである。 「高校野球は面白かったです。軟式野球にはないスピード、迫力がある。監督のさい配がそのまま出る。ボールのいたずらがないですからね(苦笑)。『四天王』(横浜高、東海大相模高、慶應義塾高、桐光学園高)には、一つしか勝てませんでした。強豪私学に追いつけなかったのは体力、140キロ超の真っすぐ、鋭い変化球への対応力。この冬も、さらなる体力強化に励んでおり、後任の先生、コーチがしっかりとやってくれると信じています」
他校の監督も感謝
この日の朝一番には今秋の県大会、関東大会、明治神宮大会を制した横浜高・村田浩明監督があいさつに訪れた。20年3月まで神奈川県立白山高校を指揮。日体大の後輩でもある。 「19年夏。相模原高校さんが横浜高校に勝ったとき、私は(県高野連の理事として)公式記録を担当していました。勝たれた姿を見て、歴史が変わったな、と。公立高校を指導していたとき、目指す指導者は佐相先生でした」 佐相監督は「白山高校はライバル校。村田監督とは話をしたこともありませんでした。(就任以降)この春の県大会4回戦で初めて対戦しましたが、敗退。私のことを気にしていただいてうれしいです。目標にまでしてくれていたとは……」と感慨深く語った。この日は県内の高校野球、県外の中学野球指導者も同校へ訪問し、佐相監督に感謝を述べていた。