『虎に翼』寅子が見た日本国憲法第14条。「男女平等」と22歳米国人女性の深い関係
日本の女性たちの姿をよく見ていたベアテ
私が、ベアテの著書を読んだのは、今から約30年前の中学生のころですが、未だに心に刻まれている印象的な文章があります。 ---------- 私は、各国の憲法を読みながら、日本の女性が幸せになるには、何が一番大事かを考えた。 それは、昨日からずっと考えていた疑問だった。赤ん坊を背負った女性、男性の後をうつむき加減に歩く女性、親の決めた相手と渋々お見合いをさせられる娘さんの姿が、次々と浮かんで消えた。子供が生まれないというだけで離婚される日本女性。家庭の中では夫の財布を握っているけれど、法律的には、財産権もない日本女性。『女子供』(おんなこども)とまとめて呼ばれ、子供と成人男子との中間の存在でしかない日本女性。これをなんとかしなければいけない。女性の権利をはっきり掲げなければならない。 私は、抜き下記したものを整理し、女性の権利に関するものを事柄別に分けた。まず、男女は平等でなくては……。財産権は当然。教育、職業、選挙権に関する平等。これは、独身であっても、妻であっても同じ。妊娠中や子だくさんのお母さんの生活の保護。病院も無料にならないと……。これは子どもにも適用されるべきだ。結婚も、親ではなく自分の意思で決められるように……。 『1945年のクリスマスー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(柏書房) ---------- 高い能力や優しい人柄、夢や希望があってもなくても、自分の人生を自分で決める権利が与えられていなかった戦前の日本女性の姿を、ベアテは子どもながらにとてもよくみていたのでしょう。自分の両親と違う夫婦のあり方、家族のあり方をみて、10代の頃のベアテは何を感じていたのだろうと聞いてみたくなりました。
今にも刺さるベアテが求めた男女平等
明治憲法(大日本帝国憲法)には入っていなかった男女平等や女性の権利に関しては、憲法の後に作られる民法に入れるだけでいいのでは? という議論もあったそうです。ですが、憲法に入れなければならないと感じた背景をベアテはこのように語っています。 ---------- 私は、女性の権利を具体的に憲法に書いてあれば、民法でも無視することができないはずだと考えた。官僚になるのは、大半が男性であるだろうし、その男性たちは、保守的であることがわかっていたからだ。 『1945年のクリスマスー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(柏書房) ---------- さらにこんな記述もあります。 ---------- 軍国主義時代の日本で育った私は、心配だったのだ。日本民族の付和雷同的性格と、自分から決して意見を言い出そうとしない引っ込み思案的な性格、しかも過激なリーダーに魅力を感じる英雄待望的な一面は、昭和の誤った歴史を生み出した根源的なもののように思う。日本が本当に民主主義国家になれるのかという点で不安を持っていた。だからこそ、憲法に掲げておけば安心といった気持ちから、女性や子供の権利を饒舌に書いたのだった。 『1945年のクリスマスー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(柏書房) ---------- 今回、約30年ぶりに再度ベアテの本を読み返してみて、今にも通じる日本の描写で、ハッとさせられました。 ベアテは日本に長く暮らす中で感じた、優しい日本人の中にある「付和雷同的性格と、自分から決して意見を言い出そうとしない引っ込み思案的な性格」が気になったのでしょう。日本人が「自ら権利を勝ち取る」といったプロセスを歩むには、物凄く長い時間がかかってしまうと感じたに違いありません。だからこそ、なかなか変えることのできない憲法、司法上は何よりも上の法である日本国憲法に、女性の権利を入れようと提案をしてくれた。これは結果として本当によかったと思います。 ベアテが作った草案によって、私や1945年以降に日本で暮らす何億人もの女性に権利があると思うと、当時22歳だったベアテの肩にかかっていた責任は想像できません。私は彼女への感謝の気持ちでいっぱいになるのです。