「フランス革命」全開なのは開会式だけじゃなかった! 実は“エンブレム”に描かれていたのも「共和国の象徴」だった【パリ五輪】(古市憲寿)
パリ五輪の開会式では、フランス革命の暴力性を隠さない演出が話題になった。マリー・アントワネットの首が取れ、牢獄だったコンシェルジュリーが赤く染め上げられた。 【写真をみる】そういえばテレビで流れてた! 意外と注目されない「パリ五輪エンブレム」
フランス革命が起きたのは1789年。だが一筋縄で民主化が進んだわけではない。1792年には王政が廃止され、フランス第一共和政が成立したのも束の間、恐怖政治によって国内は大混乱。1804年にはナポレオンが皇帝に即位し、第一帝政が始まってしまう。 だがそのナポレオンも追放され、1815年からは王政に逆戻り。と思ったものの、1848年に二月革命が起こり、フランスは再び共和政になった。この第二共和政を象徴する興味深い絵が、パリのオルセー美術館に飾られている。オノレ・ドーミエによる「共和国(La Republique)」だ。 一見すると、ふくよかな女性に、子どもが抱きついているだけの作品だ。だが実はこれ、フランスのシンボルとなる可能性のある絵だった。今風に言えば、国家公式マスコットである。 当時の共和国政府は、新しい政治体制と共に、新しい政治的シンボルを求めた。そこで「国家の顔」を募集するコンテストを開催したのだ。二月革命のすぐ後、3月のことである。悲劇的に終わった第一共和政を繰り返さないために、アートの力で社会を融和させようという意図があったらしい。
平等主義の視点に立ち、特に参加資格はなく、外国からの作品も受け付けた。700人以上の作家が応募し、その中の一つがドーミエの作品だった。中心に座るのは共和国を象徴する女性マリアンヌ。よく見ると革命の象徴であるフリジア帽をかぶり、手に三色旗を持っている。一人の子どもは本を読んでいて、次世代のフランス国民を育むというテーマがあったのだろう。 マリアンヌというのはフランス革命以来、国家を擬人化した女神である。「自由」と「理性」の象徴としてさまざまな場面で用いられるようになっていた。ちなみに有名なドラクロワ「民衆を導く自由の女神」の女神もマリアンヌである。 ファイナリスト20人が選ばれ、ドーミエは11位につけた。その後、コンテストの最終段階に進むはずだったが、企画自体が中止されてしまう。審査員の意見がまとまらなかった上、社会が再び混乱してしまったのだ。 コンテストから間もない6月には労働者による蜂起が発生、政府軍と衝突。何とか鎮圧されたものの、1851年にはクーデターが起こり、1852年からは皇帝ナポレオン3世による第二帝政が始まる。再びフランスが共和政になるのは1870年のことだ。 その後も政治体制が変わってきたフランスだが(現在は1958年来の第五共和政)、マリアンヌは現役である。今回のパリ五輪のエンブレム中央には、スタイリッシュな女性が描かれているが、実は彼女こそマリアンヌなのだ。政治家はもちろん、政治体制よりもキャラクターが長く生き残ってきたのは興味深い。
古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。 「週刊新潮」2024年8月15・22日号 掲載
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