「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・柏木③ ついに生まれた「罪の子」光君が募らせる苦い思い
夜も、光君が姫宮の元に泊まることはなく、昼間などにちょっと顔を出す。 ■このまま連れ添っていても 「世の中のはかない有様を見るにつけ、私もこの先長くないだろうし、なんとなく心細くて、仏前のお勤めばかりしていまして、お産の後はもの騒がしいような気がしてあまりこちらに参りませんが、いかがですか、ご気分はよくなりましたか。おいたわしいことです」と光君は、几帳(きちょう)の脇から顔をのぞかせる。姫宮は枕から頭を上げて
「やはりもう生きていられるような気がいたしません。けれどお産で死ぬ人は罪が重いと言いますから、尼になって、もしかしたらそれで命を取り留められるか、試してみたい……、あるいは死ぬとしても、罪が消えるのではないかと思います」と、いつもとはまったく異なった、大人びた様子で言うので、 「とんでもない、縁起でもないことです。どうしてそこまでお考えになるのです。お産というものはたしかにおそろしいでしょうが、だからといって死ぬわけではありませんよ」と光君は言う。しかし内心では、「本当にそう思って言っているのならば、尼になった姫宮と接するほうが私の心は楽かもしれない。このまま連れ添っていても、何かにつけて私から冷たくされるのは姫宮も気の毒だ。かといって私もこの気持ちを変えることはできそうもないから、つらい仕打ちもついまじってしまうだろう。自然と、姫宮にたいしてぞんざいな扱いだと人が見咎めることもあるだろうが、それは本当に困るし、それが院のお耳に入れば、すべて私の落ち度ということになる。ご病気にかこつけて、お望み通り尼にしてさしあげようか……」などと思いもするが、それもまたいかにももったいないことだし気の毒だ、こんなにも若く、まだまだ先の長い姫宮の髪を削ぎ捨てて尼姿にしてしまうのも痛々しい、とも思う。
「やはりそんなことはおっしゃらずに、気を強くお持ちなさい。たいしたことはありませんよ。もう駄目かと思った病人でも回復した例(紫の上のこと)が身近にありますから、さすがに世の中は捨てたものではありません」などと言い、薬湯を飲ませる。ひどく青白く痩せてしまって、驚くほど頼りなげな様子で臥している姫宮の姿は、おっとりしていてかわいらしく見えるので、どんなひどいあやまちを犯したにしても、こちらも気弱く、許してしまいたくなるようなお方だと光君は思う。
次の話を読む:9月22日14字配信予定 *小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
角田 光代 :小説家