「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・柏木③ ついに生まれた「罪の子」光君が募らせる苦い思い
周囲の人々はこうした事情は知らないので、このように格別高貴な姫宮のお腹から、しかも晩年に生まれた若君への光君の寵愛(ちょうあい)はたいへんなものだろうと、心をこめて世話をする。 産屋(うぶや)の儀式は盛大に仰々しく営まれる。六条院の女君たちのそれぞれ工夫をこらした産養(うぶやしない)(出産を祝う賀宴)は、それが慣例である折敷(おしき)、衝重(ついがさね)(食器を載せる台)、高坏(たかつき)(食物を盛る高い脚のついた器)などの趣向も、念入りに、ほかの人と競い合う様子がよくわかる品々である。五日目の夜の産養は、(秋好(あきこのむ))中宮(ちゅうぐう)から、産婦である姫宮の食事、お付きの女房たちにも身分に応じて配慮した贈りものを、公式のお祝いとして大々的に用意した。粥、屯食(とんじき)五十人ぶん、ところどころでの饗応(きょうおう)は、六条院の下役たちや役所の召次(めしつぎ)(雑務係)の詰所のような下々の者たちのぶんまで、盛大に準備させる。中宮職(ちゅうぐうしき)(后妃付きの役所)の役人は、長官である大夫をはじめ、それ以下の人々、また冷泉院(れいぜいいん)の殿上人(てんじょうびと)もみな参上した。七日目の夜の産養は帝(みかど)より、それも公の儀式として行われる。致仕の大臣などは格別に心をこめてお祝いしなければならないのだが、この頃は督の君の病で気持ちに余裕がなく、ただひととおりの挨拶だけがあった。親王(みこ)たちや上達部(かんだちめ)など大勢が参上した。こうして表向きのお祝いは、世にまたとないほどだいじにしているが、光君の心の内には苦い思いがあるので、そうにぎやかにはせず、音楽の催しなどはなかった。
姫宮はいかにも華奢(きゃしゃ)な体で、出産は何ともおそろしく、ましてはじめてのことなのですっかり怖じ気づき、薬湯(やくとう)なども口にせず、こうしたことにつけても情けない身の上を思い知らされて、いっそこのまま死んでしまいたいと思う。光君はじつにうまく人前では取り繕っているけれど、生まれたばかりの赤ん坊のまだ見苦しいのをちゃんと見ることもないので、年取った女房などは「あらまあ、ずいぶん冷たくていらっしゃる。久しぶりにお生まれになった若君は、こんなにおそろしくなるほどうつくしいのに」といとおしんで世話しているのを、姫宮は小耳に挟み、これから先、こんなふうに殿のお気持ちは若君からどんどん離れていくのだろうと、恨めしく、また我が身も情けなく、尼にでもなってしまいたいと思うようになった。