中嶋朋子「私は“北の国からの蛍ちゃん”じゃないのに」イメージに応えるのをやめて吹っ切れた日
『北の国から』で演じた蛍ちゃんの成長にともない、観る人から役柄を重ねられ、自分を否定されていると感じた中嶋朋子さん。葛藤して、向き合って、吹っ切れた瞬間がありました。 【画像】懐かしの『北の国から』ロケ地へ!中嶋朋子さん富良野旅 ほか(全17枚)
■私は“蛍ちゃん”じゃないし、北海道にも住んでいない ── 1981年放送開始の『北の国から』。連続ドラマが反響を呼び、21年間、続きました。物語の進行とともに、“蛍”と中嶋さんご自身も成長します。長期間演じ続けるなかで考えたことは? 中嶋さん:当初は全24話の放送で終わる予定でしたが、反響がよくてシリーズとして撮影が続くことになりました。やがてドラマが進むにつれ、私自身の人格が離れていくような感覚に。
倉本先生は私のことをたくさんリサーチしてお書きにはなるけれど、やはり“蛍”は私ではない。けれど、テレビを観る方は「蛍ちゃんと私」を同一視することも多くて、それが一番つらかったですね。 ── “蛍”を中嶋さんと重ねる人は多いでしょうね。 中嶋さん:私は東京出身なのですが、「いつ北海道から出てきたの?」とよく聞かれました。いや、ドラマの影響って本当にすごいな、と。 学校をしばらく休んで撮影に行って、帰ってきてから北海道土産で「白い恋人」をみんなに配っていましたが、ドラマが放送されると、クラスで”蛍“というあだ名になりました。
── “蛍”と重ねられてイヤだったというのは、どんな意味でしょうか? 中嶋さん:自分を否定されているような…、自分が不要で余計なものと思われていると、受けとめました。思春期で、自分自身を構築する時期と重なっていたので、何が本当かわからなくなってしまったんです。 “蛍”は私の中から出ている部分もありますが、「脚本の中の人生」を「私の人生」として歩んでいると思われるのは苦しかったです。
■蛍は「できのいい姉」と思うようになって ── 中嶋さんにはご自身の人生がありますものね。“蛍”が大人になるにつれ、役柄との距離感は変わりましたか?“蛍”は恋愛や出産も経験します。 中嶋さん:1~2年に1回は撮影に呼ばれて脚本を渡されるんですが、どんどん暗い人になっていくんですよ。「うわー、倉本先生、どうして?」と思うくらい(笑)。そして、また私、世の中からこういうふうに見られるんだな、と。 彼女(蛍)にひっぱられる部分もありましたね。本当の自分はそうじゃないとしても、その役を演じるなかで「自分ならどうする?」と影響を受けることもありました。