中嶋朋子「私は“北の国からの蛍ちゃん”じゃないのに」イメージに応えるのをやめて吹っ切れた日
── 中嶋さんにとって、蛍は近く感じる存在だったのですか? 中嶋さん:“蛍”という、できのよい優秀な姉がいる感覚ですね。「私本人はこうです」と主張したい年ごろだけど、観てくださる方の思いに抗うこともできないし、そうしても意味がない。皆さんは、蛍の中に見たいものを見て、感じたいことを感じるのだな、と思いました。 ── 役に影響を受け、悩むこともあったことがわかりましたが、その後は? 中嶋さん:あるところまでいくと、吹っ切れました。期待に応えることをやめたときからですね。小さいときは、「蛍ちゃん」と呼ばれ、「北海道暮らし?」と聞かれて変だなと感じていましたが、「あの人はあの人(蛍は蛍)だよね」と思えるようになり、反発が消えました。
■倉本聰さんの言葉で「仕事の向き合い方が決まった」 ── 役柄との関係が吹っ切れてからは、どんなふうに? 中嶋さん:皆さんは、私の中に“蛍ちゃん”を見ているというより、ご自身のなかに“蛍ちゃん”を持っているんだと気づいたんです。そうしたら「どうぞ、どうぞ!」という気持ちになりました。 私がどうこうしようとしてもしかたなくて、“蛍ちゃん”はもうその方の人生の一部になってしまってるんです。だから、必ず「ご自身の体験談」を語られるんです。
あ、私じゃないんだなと(笑)。私を見ているけど私を見ていない。この状態をつらいと感じた時期もありましたが、私が役柄に責任を負う必要はないんだと考えられるようになりました。 ── 相手から 『北の国から』について、語られたときはどうするんですか? 中嶋さん:「そうですか~!」って聞きます。私なんかよりよくご存じなんです。私が下手にしゃべると「なんでそれ覚えていないの?」ってなっちゃう(笑)。だから、ひたすら聞き役に。
── ひたすら聞く!中嶋さんは、いまでも『北の国から』を観返すことはありますか? 中嶋さん:ほとんどないのですが、最初の連続ドラマはやはりすごく好きで観ようかなと思います。けれど、長いんですよね(笑)。 ── 『北の国から』で倉本聰さんからの言葉で心に残っていることは? 中嶋さん:倉本先生からは、芝居において「大きなウソはついていいけど、小さいウソはついてはいけない」と教わりました。 フィクションなので、北海道で暮らしているなど、ドラマそのものは大きいウソだけど、そこでやる作業にウソがあってはいけない。だから、子どもが重たい荷物を運ぶ場面も、リアルに重い荷物を運ばせました。