年齢を理由に自分の可能性を狭めてはいけない…「急激に衰えてしまう人」に何が起きているのか
私は高齢者医療の現場である浴風会病院に勤務し、高齢者の脳や臓器についての研究に、長年携わってきました。 私が勤務していた当時は、年間100例ほどの解剖が行われていましたが、その結果判明したのは、85歳を過ぎると、脳にアルツハイマー型の神経変性がない人、体内にがんがない人、動脈硬化が生じていない人は一人もいないということです。 どんなに日々の生活習慣に気を付けても、努力を重ねても、ある程度の年齢になれば、誰もが認知症や生活習慣病にかかるものなのです。
このように、人は必ず老いるものであり、それが自然の摂理です。そのことを理解しておくと、自分の老化を感じたときに、慌てふためいたり、悲観的になったりすることも避けられるのではないでしょうか。 まずは徹底的に老いと闘う。そして、老いが訪れたら訪れたで、潔く受け入れる。そんなふうに「なったらなったなりに、前向きに生きる」ということができる人は、大人としての知性を備えた人だと感じます。 ■「老いを受け入れる」意味
そして老いを受け入れるということは決して、それ以降の人生を諦めるということと同義語ではありません。 たとえ寝たきりになったとしても、まだまだできることはあります。人とおしゃべりを楽しむこともできるでしょうし、いろいろなアイディアを練ることもできる。創作意欲を燃やし、たとえば物語や俳句、川柳などの制作に勤しんでもよいのです。 今、自分ができる限りの努力をすることをいとわない人は、どのような状況になったとしても、心に火を灯し続けることができるでしょう。
幸せかどうかを感じるのは、本人の主観によるものです。たとえば、同じような老化現象を自覚している二人の人がいるとします。一人は「こんなにも年をとってしまって、自分は不幸だ」と考えている。一方、同じ状況にいるもう一人は、「まだまだできることはたくさんあるし、これから伸ばせる力だってあるし、自分は恵まれている」と考えている……こんなふうに、たとえ全く同じ条件のもとにいたとしても、考え方ひとつで、こんなにも見える世界は変わってくるものです。