「教員にしか見えない世界」の魅力
「学校で働く自由と多様性」あなたの信念と生き様が誰かの“救い”になる
教員は子どもたちの未来をともに考える責任の重い仕事だと思いますが、同時に自分の担当範囲(授業や担任業務など)においては「これをやりたい!」ということが実現しやすい自由さがあります(無論、生徒の様子を見ながら随時改善していく前提ですが)。 自分の信念に基づいて行動し、その成果の手触り感を得られるのは、仕事をする上でこれ以上ない幸せなことだと考えています。そして、生徒目線で言えば、そうした自分の信念に基づいて自分たちに働きかけてくる大人を何パターンも見ることは、将来の財産になるのではないでしょうか。 こんなことを言っては教員商売あがったりかもしれませんが、みなさんが同窓会などでお世話になった教員を思い出す時、習った授業の内容よりも、その人独自のキャラクターやパーソナリティの方が思い出せませんか? 冷静に考えれば、多くの場合、ひとつの教科を選んで人生を捧げちゃうような人達なわけですから、それぞれの信念や生き様の違いが面白くないわけがないです。 そして、そのバリエーションがあるほど多くの子どもたちにどれかが刺さり、何かが残ります。先輩教員によく「学校にはいろんな人がいる方がええんよ」と言われたのが今になると納得感があります。みなさんの信念と生き様も、誰かのかけがえのない“ 救い”になると思います。
「教員にしか見えない世界」社会を深く、ミクロに見渡す
よく「教員は社会を知らない」と耳にしますが、私は「そもそも見ている社会の単位が違うのでは?」と考えています。 会社だとか、海外情勢だとか、マクロな意味での社会はもちろん業界や働き方も違うのでなかなか知り得ないこともあろうかと思います。ここでいう“社会”とは、会社や国など多くの人の集まりやその関係性から生まれるいろんなものを指していると思うのですが、組織体が違えど、国や地域が違えど、人の集まりの最小単位は「家族」ですよね。 教員は仕事柄、勉強や学校生活、進路などの話題を通して生徒の「家族」に触れたり感じたりすることがあります。 「家族」の関係性や家庭状況の中で揺れ動く感情や進路、寄り添いながら見えてくるそうしたものもミクロな意味で“社会”なのではないでしょうか。ある意味では、そうした表に出てこない事例を多く見ながら仕事をしている教員の仕事は「深さがある」と思います。 表情や言動から人間関係などのちょっとした変化を見抜く観察眼はこうした経験ならではなのかもしれません。「教員にしか見えない世界」、ぜひとも飛び込んでみてください。