「教員にしか見えない世界」の魅力
第11回 テーマ
「これから教員を目指す方たちへ」いざ、奥深き“人のワンダーランド”へ
「誰のために働くか」近づくほどに、惹きつけられる
「学校ってどんな場所ですか?」と聞かれた時に、その魅力を語るのは一筋縄ではいかないように思います。ですが、今までの感覚で表現するならば、「人間同士の引力を感じる場所」だと思います。「引力」とは一般的に「物体同士が引き合う力」を指します。 担任をした時に特に思ったのですが、ほんの10分や20分の個人面談や保護者面談をするだけで、話の内容以外にも凄まじい情報量が入ってきます。 個人の想いや悩み、それに伴う複雑な表情や感情、家族の人間関係(家族関係が複雑なケースもあります)や、やり取りから垣間見えるパワーバランス。それらを体感すると「あぁ、だからこういう言動や振る舞いをするのか」と、生徒の普段の様子が異様に腹落ちすることがあります。 家族以上に影響を与えるものはなかなかないと思いますが、そんな中でも「ではこういう声かけやサポートをしてみよう、こんな機会を提案してみよう」とアイデアが思い浮かびます。 ここで面白いのは、無意識ながら自分が以前よりも前のめりにその生徒のことに頭をめぐらすようになっていることです。また、一緒に過ごすほどに相手の反応も変わってきます。きちんと向き合っていれば、態度が柔らかくなることや、気まぐれで手伝ってくれるようなこともあるほか、「悪い先生じゃないと思うよ」みたいな「一体キミはどの目線から語っているのだね?(笑)」とツッコミたくなるようなツンデレっぷりを見せてくれることもあります。 コミットするほど「お互い気になり無視できない存在」になっていきます。近づき過ぎず、離れ過ぎず、でもその子のために無尽蔵に湧いてくる説明の難しい力。そうした力に支えられているのが学校であり、働くとやみつきになるところだと思います。
「誰とともに働くか」見てないようで、よく見てる
私はなんだかんだで「先生という生きもの」が好きなのだなと思うようになりました。今でもよく覚えているのですが、赴任して少し経った頃に、職員室の電話口で保護者からクレームを受けたことがありました。受け答えがだんだん短く重いトーンになってくると周りの教員は「あ、これはそういうパターンだな」とピンとくるものです。 私が「いや~」とか言いながら席に戻ると、教卓の上にお菓子の山ができていたのです(状況を察した学年団の先生方が持ち寄ってくれたものです)。歳の近い先輩教員からは、少し時間を置いて「さっきはお疲れ様です。今日はこれでやっちゃってください。」とビールをもらってホロっときたこともあります。 「同僚性」の高さ、学校の組織文化を語るときによく言われますが、高度な個人情報を取り扱うがゆえに校外の人に相談がしづらい中で、「同じ職場、職種の仲間だからこそ多くは語らずとも分かり合える、支え合える」関係性は働く上で何にも代え難いもののように思います。一人でなく、みんなで働いているという感覚はとても支えになりますよ。