「本当の復興」を目指して 宮古の遊覧船・うみねこ丸の船出と厳しかった父の奮闘 #知り続ける
(映像制作:佐々木航弥/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「本州最東端のまち」をうたう岩手県宮古市で、観光業の象徴的存在だった遊覧船「陸中丸」が2021年1月、58年にわたる長い歴史を閉じた。陸中丸は2011年の東日本大震災でも被害を免れ、市内で唯一の遊覧船として営業を続けたが、赤字と船体の老朽化には勝てなかった。市内観光の目玉だった遊覧船を失ったことへの市民らの落胆は大きく、運航再開を望む声は根強かった。そこで宮古市はクラウドファンディングなどで資金集めに乗りだし、新たな遊覧船「宮古・うみねこ丸」を2022年7月に就航させた。その運航業務を任されたのは、かつて陸中丸を運営していた岩手県北バスの宮古営業所長・佐々木隆文(57)。筆者である私、佐々木航弥の父親である。震災からの真の復興を願う市民の期待を背負ったうみねこ丸と父の船出を、息子の視点から追った。(文・映像・写真/ドキュメンタリー映画監督・佐々木航弥/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
苦手な存在だった父 働く姿を訪ねて
2023年1月、冬の閑散期にもかかわらず、うみねこ丸は多くの乗船客でにぎわっていた。景勝地・浄土ヶ浜の発着場で客にタラ汁を楽しそうに振る舞っていたのが、運航責任者の佐々木隆文だ。 隆文は、私にとっては典型的な「昭和の親父」であり、苦手な存在だった。幼少期に厳しく育てられただけでなく、私が進んだ宮古高校で所属したラグビー部のOBでありコーチだった。泣くことをとにかく嫌い、私が幼いころにつらいことがあって泣いてしまうと、「本気で何かに取り組んでいないやつが泣くんじゃねえ!」とこっぴどく怒られた。 ラグビー部で厳しい練習に3年間耐え、3年生で最後の県大会の準決勝で負けてしまった時、とにかく悔しくて仲間たちと泣いてしまった。ところが、その時だけは父に怒られず、「こういう時にだけ泣くもんなんだ」と声をかけられたのがうれかった。 一方で、ラグビー部員たちは父を「隆文さん」と慕っていた。時に厳しい指導をするが、基本的には冗談ばかり言うユーモアあふれる人間性のおかげかもしれない。父はよく「俺の夢は母校を花園(全国大会)に行かせることだ」と言っていた。