【急告】飲み会の常識が変わる。酒も酒以外も。飲めない人、飲まない人も飲める”スマドリ”最新事情
飲む、飲まない、飲めない、を超えて
居酒屋など酒を出す飲食店で長年提供されてきたソフトドリンクは、飲めない人や未成年向けに用意された代替ドリンクに過ぎなかった。居酒屋やバーは酒を飲ませる店であり、料理も酒に合わせて考案された。飲めない人はいわば「仕方がない」存在で、ある意味肩身が狭い人たちだったとも言える。 一方、ソフトドリンクが想定する一般的な飲み方は、喉を潤すこと。日本はソフトドリンク類が充実した国で、お茶などの甘くないドリンク類も充実しているし、ジュースの選択肢も豊富だ。自販機大国であることも影響しているだろうし、夏は暑く冬は寒い気候で、手っ取り早く身体を冷やしたり温めたりする目的にも適っている。 しかし、ノンアルバーの登場は、大人が1人の時間を過ごす、誰かと語らう時間を過ごす相棒として、ソフトドリンクでは力不足、何か違うと感じていた人たちの存在を浮き彫りにした。 飲み会は従来、親睦の場であったが、会議で決めずに根回しする飲みニュケーションの場としても活用されてきたため、気乗りしない付き合いに貴重な時間を割きたくない、と感じる若い世代が増えて敬遠されるようになった。そこへ、集うことを避けるコロナ禍が到来。改めて人と関係を深める、1人の時間を過ごす場面が、充実した意義のあるものであって欲しい、と考える人が増えてきたのだろう。 ノンアルバーが登場したことは、単に飲む・飲まない・飲めないの選択肢だけではなく、時間を過ごす場の多様性も求められている結果に見える。誰と、あるいは1人で、どのように過ごすのか。短いが充実したひと時を求める選択肢の一つとして、今後も私たちはベストな道を探していくのだろう。
阿古 真理(くらし文化研究所主宰・作家・生活史研究家)