米大統領選、過去の大接戦と圧勝劇は? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
【接戦】1960年「ケネディ×ニクソン」
ホワイトハウス奪還に燃える民主党は、4年2期を終えたアイゼンハワー大統領後の大統領の座をジョン・F・ケネディ候補に託します。ハーバード大学出身の43歳。米国白人の主流であるプロテスタントではなくカトリック教徒。今でいう「イケメン」でニューフロンティア政策を高々と掲げました。 ただこの時点でケネディ候補は相当な知名度を持っていたとしても、ライバル共和党のニクソン候補にはかないません。アイゼンハワー政権8年の間、副大統領の要職にあり、最初は30代でした。スピーチもうまく、いまだ国民的人気の高いアイゼンハワー氏の協力も十分に得ていたからです。 両者の選挙で一番の話題となったのは、この時初めて行われたテレビ(まだ白黒)討論会です。見た目の印象などを留意してはつらつとした健康さを見せつけたケネディ候補に対して、ニクソン候補は直前まで病気であったという不利もあって内容はともかく視覚的な敗北を背負い込んでしまいました。 結果は歴史的僅差。勝ったのはケネディ候補24州に対してニクソン候補は26州と上回りました。しかし獲得選挙人の数でケネディ候補がまさり大統領の座を射止めたのです。 アメリカ大統領選挙は直接選挙ではなく、州ごとに決まっている選挙人をどれだけ獲得できるかで決まります。選挙人数は上院議員(2人)と下院議員(人口比例)を合わせた数で原則として勝者総取りです。選挙人が20人以上の州でケネディ候補4勝(ニューヨーク45、ペンシルベニア32、イリノイ27、テキサス24)、ニクソン候補2勝(カリフォルニア32、オハイオ25)とリードしたのが決め手となりました。
【圧勝】1964年「L・ジョンソン×ゴールドウォーター」
ケネディ大統領は1963年に暗殺され、残余期間をジョンソン副大統領が昇格して務めた後の大統領選です。ジョンソン候補は副大統領の時には「何もしていない」とからかわれてもいましたが、米副大統領は誰に限らず「ほとんど仕事がない世界最高の役職」ともいわれ、いわば職務に忠実であったに過ぎないと後に評価されています。大統領昇格後は公民権法を制定して黒人への差別を法的に取り除くなどの実績を挙げました。 共和党候補となったゴールドウォーターは公民権法に反対した事実からジョンソン陣営より「人種差別主義者」「極右」のレッテルを貼られて追い詰められます。失言も目立ち攻撃される材料にこと欠きませんでした。ケネディ人気と同情の余光に加えてネガティブキャンペーンに成功したジョンソン候補は50州のうち44州を獲得、得票率61.1%は史上最高という圧勝を収めました。