「おじさんがかわいそう…」 “パーカーおじさん”イジりに対するホリエモンの怒りはド正論ーー“おじさんイジり”がNGになった、現代の切実な事情
答えは明確です。 「何もしない」、これに尽きます。 宗教上肉が食べられない人、身体的にしにくい動作がある人、すごく体重が多い人/少ない人。いずれも業務上の必要性が無い限り、否定的な扱いをしてはならないのと同じように、見た目の良し悪しもそうなのです。 現代においては、マジョリティの美的価値観が優先されるのではなく、人それぞれの価値観を優先し、あらゆる人の機会を増やすことが求められています。これが、「ダイバーシティ&インクルージョン」です。
パーカーを着た結果、商談に失敗したら? パーカーを着たことが原因かどうかを含め、商談失敗の責任を追及するのは何も問題ありません。原因を「パーカーを着たから」だと断定することが問題なのです。 カジュアルすぎるスタイルが、ビジネスにおいて不利になることは十分あり得ます。しかしその原因をパーカーだと決めつける行為は許されないでしょう。 明らかにパーカーが商談に不適切と感じたなら、その格好で商談は大丈夫なのか話し合うことはまったく問題ありません。合理的な証拠に基づかない価値観を、立場的に優位にある人が一方的に決めつけ、押しつけることがダメなのです。
堀江氏がポストしていた「戯言を正面で受け止めてパーカーを着なくなる気の弱いおじさんが可哀想」という意見は、実はド正論といえます。 ■「おじさん」はもはや“強者”ではない そもそも、「おじさん」は社会的強者なのか。 これまで広く、中高年の男性は“社会的強者”と判断され、攻撃してもOKと認識されることが一般的だったといえます。しかし時代はどんどん進んでいます。今回のパーカー騒動で、「おじさんはイジっていい」という流れに対しての否定的意見が顕在化したと思います。
堀江氏は攻撃を受けても反論できないおじさんに代わって、自分が反論しているとXで述べました。堀江氏への賛同は多く見られます。 SNS上でも、どちらかといえば、現状は端を発した女性脚本家への批判のほうが多数といえるでしょう。 そもそも中高年男性全員が社会的強者であるはずもなく、就職氷河期世代で中年に差し掛かっている人は多くいます。一流企業に勤務していても、役職定年や再雇用などで、収入やポジションが若い人よりも下になったという人もいます。