3浪で「東京藝大に合格」黒歴史だった浪人を“肯定できた瞬間”。合格後も受験時代の自分にとらわれていた
※倍率は毎年30倍程度で、女子受験者数と合格者で見ると40倍程度あったそうです。 1浪目の生活は、ひたすら予備校に通い朝~夕方までずっと実技対策を続けた新家さん。直前期は夜の21時ごろまでずっと残って作品を仕上げたこともありました。 東京藝大の合格を目指してストイックに作品を制作し続けた新家さんは、この年、東京藝大以外に愛知県立芸術大学・多摩美術大学・武蔵野美術大学の日本画専攻にも出願します。しかし、結果はまたしてもすべての大学で不合格に終わりました。
■東京藝大1本で挑むもまさかの1次落ち 「意固地になってしまった」と当時を振り返る新家さんの2浪目は、東京藝大1本に絞り、この年も河合塾美術研究所の名古屋校で浪人生活を始めます。 しかし、このころには塾内の日本画クラスで新家さんの実力は最上位。名古屋校から東京藝大1本で受験する人は新家さん1人で、東京藝大合格レベルを間近で見ることができない苦しさを感じていました。 「この1年は自分との戦いという感じでした。私自身にとっては課題ばかりの絵を描いても、講評会では相対的に見るといい作品としての評価をいただいていました。先生もそうだったと思いますが、今まで名古屋校からは合格者がいない大学に挑むので雲をつかむような戦いでした」
校舎内ではつねに「追われる者」としてのプレッシャーから、1浪目よりも余計にストイックになった新家さん。予備校後の時間や休みのときは動物園やバレエ教室に行って、動いているニホンザルやバレリーナの動きを一瞬で捉えるクロッキーに励み、デッサン力の向上にも必死に取り組みました。 スポ根漫画のようにがむしゃらになった2浪目でしたが、なんとこの年は前年度で合格した藝大の1次試験にも落ちてしまいます。 「今思うと、自分自身が作り出すものに自信が持てていなかったのかもしれません。人にお伺いを立てるような作品だったから不合格だったのだと思います。毎日、どうしたら合格する絵が描けるかを必死に悩み続けました。この頃になると、早く大学生になりたいという気持ちより、自分の意思で目指した東京藝大に行くという目標をどうしても達成したいという気持ちになりました」