3浪で「東京藝大に合格」黒歴史だった浪人を“肯定できた瞬間”。合格後も受験時代の自分にとらわれていた
そのことで今まで白い背景を含めて作品であると意識できていなかったことに気がつきました。この対策のおかげで、四角い画面の隅から隅まで全部作品だという見方ができるようになり、最終的にはレベルアップができました。そのため秋から『白バック』に戻した直後は、またその表現に慣れていくのに苦労しました」 そのスランプも、予備校の課題とは別に自宅で取り組んだ細密描写によって克服したそうです。 例えば、描いたレタスを先生に見せて「不味そう」と言われた新家さんは、味や新鮮さをどうすれば表現できるかがわかりませんでした。
そこで「パリッとパリッと……」と心の中で唱えながら、客観的にレタスを見続けました。1枚目とは違うレタスが描けたとき、それまで「どんな作品がいいのか、どうするべきなのか」にとらわれていた新家さんは、「こう見えた、こう感じた」と自分なりの答えを描きながら探して表すことが作品を作ることなのだと気づくことができるようになりました。 スランプを乗り越えた新家さんは、11月ごろには選抜クラスに入れるようになり、作品の質も向上しはじめました。
■2次試験で全力を尽くせた この年の新家さんは、東京藝大に加えて多摩美術大学、武蔵野美術大学を受験しました。残念ながらこの年も多摩美術大学、武蔵野美術大学は不合格でしたが、各大学の試験を通して何が足りないのか自分なりに分析できたため、なんとか切り替えて藝大に臨めたそうです。 「藝大の1次試験はいい出来だったので1次は受かると思いました。その時はまだどこにも合格したことはなかったので、合格するという自信は持てなかったのですが、どんなモチーフが出ても、自分なりの方法で作品が作れるという感覚は確かに生まれていました。
藝大の2次試験を受けたあとは、これでダメだったら、もうやれることはないなという心境になり、初めて浪人に疲れも感じ、これ以上は無理かなと思いました」 「これで落ちたら降参」というほど自分のすべてを出し切った新家さんは、ついに3浪で、1994年度の東京藝大の美術学部絵画科日本画専攻に合格しました。約750人受験し、合格者は26人。この年の倍率は約30倍にもなっていたそうです。 こうして4年にも及ぶ藝大受験の日々を終えた新家さん。浪人してよかったことを聞くと、「自分自身に自信を与えてくれた」こと、頑張れた理由は「自分はまだ成長できると思っていたから」と答えてくれました。