<城が語る>狙いもテーマも見えなかったハリルJの敵地ドロー
このイランとの親善試合は、一体何をテーマに組んだのだろう? 現地時間12日に完全アウェーのイラン・テヘランで行われたイランとの親善試合は1-1のドローに終わったが、ハリルホジッチ監督が、この試合に求めたコンセプトも狙いも見えなかった。つまり何をしたかったのがわからなかった。 新しい選手や、新しい戦術を試すのであれば、スタメンは、このメンバーではなかっただろう。柏木も後半頭から投入して良かっただろうし、ほとんどボールに触れることのできなかった20歳の南野にしても、たった6分程度の出場で何かを見せろという方が酷だ。 途中出場の場合、まずリズムやゲームの流れにアジャストするのに時間が必要。せめて15分から20分は出場機会を与えないことには、彼をどう評価すればいいのかもわからないし、彼自身のモチベーションにもつながってこない。ゲーム形式のトレーニングで得るコンビネーションの感覚と、実際の試合で感じる、それは、まったく違うもので、選手自身も中途半端な使われ方をすれば戸惑いが生まれる。まして、代表に送り出すクラブサイドからも「召集しても使わないのならばもう出したくない」という声が出てくる可能性さえある。 では「アウェーで勝利する!」という勝負に徹した試合だったのか。それであるならば、まず勝たねばならなかったし、イージーミスが、あれだけ出てしまうことに納得がいかない 日本が抱えていた課題も浮き彫りになった。ひとつは、ハイプレッシャーをかけられる展開の中で生まれるミスだ。イランの選手は、フィジカルもコンタクトもアジアの中では突出していて、ボールに対してハードワークをしてくる。そういうハイプレッシャーをかけられらとプレーの正確度が落ち、パスコントロールミスやディフェンスのミスにつながる。 先制点となるPKを与えてしまった吉田の反則に関しては、左足のつま先が、芝生にひっかかって倒れてしまうという不慮のアクシデントだっただけに、「なぜシュートも打たれない、あの場所で、あんなミスを!」と責めるのは酷だが、柴崎などはJリーグでは、足先だけでかわせるような場面で、体を激しく寄せられかわすことができず、コンタクトの違いや、間合いの違いなどへの対応力不足が如実に出てしまっていた。