海外のカジノで賭博をしても捕まらないのに、日本だと逮捕される「驚愕の理由」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】海外のカジノで賭博をしても捕まらないのに日本だと逮捕される「驚愕の理由」 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
法律に正しさを期待するな
皆さんは、こんな疑問を一度はお持ちになったことがあるのではないだろうか。なぜ、日本の刑法では賭博は犯罪なのに、日本人がラスベガスなど国外で賭博をやっても犯罪にならないのか? それは、刑法3条の「国外犯」のリストから賭博が除かれているからだ。 国民が海外のカジノで賭博をしても、日本国に不利益をもたらすことはないということで、国外犯から除いているのだろう。賭博自体は自分の財産を自分の好きなところに投ずる個人の自由行為であって、罪悪でも何でもない。このように、同じ行為でも法律一つで犯罪とされたりされなかったりするのである。 法律は道徳・正義(正しさ)とは原則的に無関係なルールである。両者が一致する場合もある(殺人、窃盗は罪)が、法律は人為的に作りうるため、道徳を守らせることとは別の目的のために制定されることもあるからである。 法律と道徳が別物であることは、たとえば内心ではあらゆる殺人を罪だと考えている裁判官であっても、法廷では「死刑」や「経済的理由による堕胎」を合法として扱わなければならないところに現れている。 議会で法律が改廃されない限り、法曹はたとえ本人の信念や主義に反する法律であろうとも、一応は現行法を使っていかなければならないのである。
法律の究極の根拠? 「根本規範」
このことをもっともクリアに論じたのが、20世紀にその名を残すオーストリア出身の法哲学・国際法学者ハンス・ケルゼン(1881─1973)である。ケルゼンは、法律の成立にとって決定的なのはもっぱら制定手続きの有効性のみであり、法の内容の善悪はまったく関係がないという「授権説」を説いた。 つまりこういうことである。日本の現行法が有効であるのはなぜかというと、法律の上位にある規範、即ち日本国憲法所定の手続き(国会で立法される)に従って制定されたからである。 すると続いて、なぜ日本国憲法が有効であるのかということが問題になる。それは日本が太平洋戦争で敗戦し、ポツダム宣言を受諾したことによる。では、なぜポツダム宣言が有効なのか。それは「条約は守られるべし」という法の一般原則があるからである。では、なぜその原則が有効なのか。 ……こうやって、現行の法に有効のお墨付きを与える上位の規範、それにまたお墨付きを与えるさらに上位の規範、というように、上へ上へとどんどん辿っていくのである。 そうするとこの遡行は、いつかはどこかで止まらざるを得ない。「〈条約は守られるべし〉を有効にした上位の規範は?」と問うあたりから答えは怪しくなってくる。頑張って説明しようとしても、最終的にはより上位の規範に遡れない地点にまで行き着いてしまう。 そこは「だって、そうなってるんだから仕方ないでしょ!」という、単に前提されただけとしか言いようのない規範、内容の適否の証明もできない規範である。 この、最終的に立ち止まらざるを得ない規範をケルゼンは「根本規範」と呼び、それこそがあらゆる法律や判決を有効にする根拠だと説明したのである。 「根本規範」、それはもう思考対象というより信仰対象である。たとえばこんな親子の対話を想像してもらうとわかりやすいだろう。「学校へ行け」という父の命令に「なぜお父さんの言うことを聞かなきゃいけないの?」と問い返す子供に対して、父は「神様が、親の言うことを聞かなければならないと命じているからだよ」と答えた。 すると、その子はさらに「どうして神様の命令に従わなければならないの?」と聞いてきたので、父はこう言うしかなかった。「神を信じる者ならば、神の命令に従わなければならないからだよ」。 まさに、この最後の父の言葉こそ「根本規範」の性質をよく物語っている。神が正しいからその命令に従うのでなく、神を信じるから従うというのである。したがって、もしこの子が神を信じないという決断をしたならば、この子は神の命令も、そして親の命令も聞かなくなるわけである。 ケルゼンによれば、法の秩序とは、このような信仰対象である「根本規範」を頂点として下方に延びる授権の連鎖体系であるにすぎない。法律は、上位規範が認めた制定手続きに従っていれば有効であり、その内容が正しいか否かは効力にまったく関係がないということになる。 とはいえ、ケルゼンのこのような法律観が唯一の正解だというわけではもちろんない。内容が反道徳的もしくは不正であれば、それだけで法律は無効と考える学派もある(「自然法論」)。それに対してケルゼンは、法律を道徳から完全に区別された独立したルールと考える「法実証主義」と呼ばれる学派に属しているから、このように論ずるのである。 この2学派については、次章で詳しく話そう。ただここでは、法律に内容的正しさを期待するなという醒めた見方が、法哲学者の中にも少なからずあるということを知っていただきたい。 さらに連載記事<あまりに理不尽…宝くじで300億円当てたにもかかわらず元妻の援助を受ける男は許される「驚愕の理由」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美