「帝王切開中にみつかった悪性腫瘍」34歳女性に起きたまさかの末期がん発覚から職場復帰までの道のり
そんな私の背中を押してくれたのは、夫でした。がんに関する文献を読み漁り、最新治療を調べ上げて、“少しでも生きられる可能性があるなら、やれることは全部やろう”と励ましてくれました。お医者さんからも、“きちんと鎮痛剤を使って痛みをやわらげ、気持ち的に負けないようにすることも、がんと闘うには大事なことだから”と言われ、治療に向き合うことを決意しました。その後は、抗がん剤、放射線治療、最新の免疫治療と、さまざまな治療を試みました。
■絶望しながら生きるモチベーションを保てた理由 ── しばらく、周りの誰にも病気のことを明かさなかったそうですね。 海野さん:母親以外には、1年間、誰にも言えませんでした。じつは夫の両親にもどうしても伝える気になれず、私からはいっさい話していないんです。 ── どういう思いがあったのでしょうか? 海野さん:“どうせ死んでしまうのだから言ってもしかたない”と思っていたんです。“未来がない自分が何を話しても意味がない“と感じていて、誰にも会いたくないし、病気のことも言いたくない。SNSもその時期はいっさいやめていました。いま振り返ると、“死ぬかもしれない“と口にすることで、それが現実になってしまうのが怖かったのでしょうね。死が目の前に迫っていることを認めたくなかったから、その事実をできるだけ遠ざけたくて、全力で見ないフリをしていたんだと思うんです。ですから、エンディングノートをつけたり、“死ぬまでにあれをやっておこう”といった終活の発想には、まったくならなかったですね。
── 闘病中、何をモチベーションにされていたのでしょうか。 海野さん:末期がんを宣告され、“自分には未来がない”と思いながらも、じつは、死ぬことを100%受け入れたタイミングは一度もありませんでした。ずっとどこかで、「もしかしたら“ワンチャン”あるんじゃね?」と思い続けていた気がします。 大きかったのは、やはり夫の存在です。彼は会社を経営していて、かなり忙しかったのですが、私の治療を最優先に考えて行動し、前向きな言葉をかけ続けてくれました。こんなに頼りがいがあって献身的に支えてくれる夫が力を尽くしてくれているのだから、もしかしたら一発逆転あるかもしれない。それを信じ、生き残る可能性に賭けたんです。