劇場に響いたすすり泣く声…ファンが歓喜した終盤のサプライズとは? 映画『室井慎次 生き続ける者』考察&評価レビュー
1997年に放送され、翌年公開の劇場版が空前の大ヒット。国民的映画シリーズと言っても過言ではない『踊る大捜査線』。二部作の後編となる『室井慎次 生き続ける者』が公開中だ。今回は、多角的な視点から作品の魅力に迫る。(文・小林久乃)※このレビューでは映画のクライマックスについて言及があります。未見の方はご注意ください。
劇場に響いた観客のすすり泣く声
ラストシーン、映画館からすすり泣く声が聞こえてきた。上映されている作品は『室井慎次 生き続ける者』だ。私も例に洩れず、涙が頬を伝っていた。上映中盤も泣いていたので、アイメイクは落ちた。 先月公開の『室井慎次 敗れざる者』同様、どこかコミカルさを含んだ内容なのかと思いきや、そうではなかった。今回は主人公の柳葉敏郎演じる、室井慎次という人物をよく知ることができる作品だ。連続ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系・1997年)という刑事ドラマから始まって、ここまで来たけれど、本作は完全な人間ドラマだった。あらすじはこうだ。 警察官を早期退職した室井は地元の秋田県で、事件に巻き込まれた3人の子どもの里親となって生活していた。自宅前で発見された変死体事件をきっかけに、室井の周辺がにわかに騒がしくなる。自宅敷地内の放火、約20年前に起きた洗脳者による殺人事件の犯人と、幼児虐待を受けていた、里子の父親の刑務所釈放。地元住人や、不良たちとの関わり方。室井はひとつひとつに向き合っていく。 私も『踊る~』シリーズの熱血ファンだ。ドンズバ世代だったこともあるけれど、青島(織田裕二)と室井、すみれさん(深津絵里)には何度も人生を励まされてきた。そんなわけで若干のネタバレを含んでしまうこと、ご容赦ください。
青島を彷彿とさせた室井の行動とは?
「全労働者、聞こえるか。今すぐ『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』観て自分の人生、考え直せ」 働く人たちへ一斉に伝えることができるスピーカーがあるのなら、こう発信したい。前作同様、室井と同じく独身の私は生きる意味や、自分の人生の棚卸し、終わりについて考え込んでしまった。いけない、映画に集中しないと。 昨今、会社員や個人事業主に関わらず、引退後の生き方に不安を抱えている人が増えている。背景にはややこしく、理不尽な理由があるけれど、日本国籍を持つ以上、自分で決断をして、棲家を見つけて暮らしていくしかない。 けれど室井の決断は潔かった。青島と約束した警察組織を変えていくことができなかったことを悔やみ、罪滅ぼしのように3人の里親になった。そしてそのひとり凛久(前山くうが・こうが)にこう教えている。 「むやみに人を疑ってはいけない」 自分はずっと人を疑う仕事をしてきたから言えるのだと。今までの自分の生き方を敢えて否定する言動に、改めて彼の決意を感じる。もう警察官の自分をいないとする、潔さは 強いなあと思った。死ぬまでパソコンに向かって仕事をしていたいと思う自分には、できない。きっと今までの経歴を武勇伝のようにすり替えて、酒場で死ぬ間際までしゃべり倒していると思う。 また室井は“ベテラン刑事”と称して、和久さん(いかりや長介)にも触れている。彼に「偉くなりたければ、正しいことをしろ」と言われたことだ。この進言はおそらくずっと室井の中にあったはず。 ところが室井は本作で“正しくない”ことをする。一般企業でもよくある引退した人間が先輩風を吹かせて、コネで業務に関わってくる“あの手法”を使う。そして犯人と接触するこのシーンが号泣。彼は職務中、本当はこうやって仕事をしたかったのではないかと思わせるのだ。そう、心から慕っていた青島のように。 何が正しくて、何が良いのか。迷いのない人生を送るには覚悟が必要だと、改めて思う。ちなみに私、人生設計を立てているわけでもなく、映画鑑賞をしているだけなんですけどね...。