親族の男女に“行為”を強要、服を脱がせて“水攻め”に…尼崎事件の主犯・角田美代子がいくつもの家族を破滅に追い込んだ戦慄の手口
Hは泣いて美代子にすがった
〈美代子からは、好き放題して、ぜい沢ざんまいして、とにかく困らしまくって、うちにすぐに助けを求める様にしてこいと言われ、夜、遅くに出発しました〉 言いつけを忠実に守り、正則は現地で大暴れする。親類をもてなそうと食卓に並んだ料理を前に、 〈やかましい、なれなれしいすんな〉 そう怒鳴り散らし、スナックなどで散財させる。そのつど美代子とは連絡を取り、ついには、 〈Hがワーワー泣いて助けて下さい、すぐに来て下さいと美代子に何度も何度も頼み込んでました。私が酒を飲んでいると美代子から電話があり、ようやった、1~2日中にそっち行くからその調子でそのままやっとけ、うちの好きな食べ物(イカ、ウニ、コロッケ、高級チョコ、パン)(コーヒー、紅茶)などを揃えとけよと言われました〉 〈そして、美代子が現れると、Hは泣いて美代子にすがっていました〉
親族同士で行為
後日、残りのファミリーも乗り込んで、正則の育て方についての「話し合い」が始まった。許可がないとトイレにも行けず、こじれる方向へと美代子が故意に会議を誘導し、夜を徹して口論させる。続いて「足止めされた」と因縁をつけて金銭を要求、毎日10万円ずつ巻き上げていった。家族間の口論はいつしか殴り合いへとエスカレートし、美代子による虐待も始まった。 〈Hと娘のM(08年12月に死亡、享年26)が服を脱がされ、来る日も来る日も庭に出されて、夜になるとホースで水をかけ続けられたりもしました〉 美代子の外出時には、服を着せられないまま押し入れに閉じ込められることもあったという。さらに、親族同士の男女に行為を強要し、 〈美代子は自分がさしたのにもかかわらず、よー見とりや、人前でこんな事平気で出来るということを。カチク(家畜)や、死んだれと言いました〉
遺体の歯を「ペンチで抜け」と
そんな中、03年3月には、Hの父・Nさんが虐待の果てに尼崎で命を落とす(享年78)。正則は、美代子に言われるまま遺体を高松まで運び、地中に埋めた。その時、身元を特定されぬよう、こんな指示を受けたという。 〈穴に入れる前、美代子から連絡が入り、Nさんの歯を抜けんか、顔が見えんようにしてペンチで抜けと言われるが、出来んと答えました〉(以上「自供書」より) 直後の心情は、次のように記されている。 〈死体の処理をさせられたことで、もう角田美代子からは離れられないと覚悟を決めました〉(12年11月5日付) こうして、MとTの両家は美代子ファミリーに乗っ取られ、全財産を失った。さらに、ターゲットとなったIとH、Oの各家も同じく破滅へと追いやられ、美代子は少なくとも3億円程度を手にしたとみられている。