〈パリ五輪バスケ〉「レブロン、ヤバイです」八村塁が即答…オリンピック直前の親善試合でレブロン・ジェームズが見せた覚悟と代表ヘッドコーチが滲ませた自信
バスケ・アメリカ代表合宿を直撃取材#2
7月28日、いよいよ登場する金メダル筆頭候補のバスケットボール男子アメリカ代表。金メダル奪取の確率は? アメリカ代表の合宿を見学、カナダとの親善試合を観戦した松井啓十郎が語る。 【画像】レブロン・ジェームズのシュート練習の様子
アメリカは憧れの存在ではなく、倒すべき存在へ
「今は1992年ではない。世界のチームや選手は進化している。ワールドカップやオリンピックで勝つのは簡単ではない」 2023年のワールドカップ、準決勝でドイツに敗れた際のアメリカ代表HC(ヘッドコーチ)、スティーブ・カーの敗者の弁だ。 カーがアメリカ代表のHCに就任したのが2021年12月。初めて指揮した国際大会で大きな屈辱を味わっている。 1992年、バルセロナオリンピックでアメリカ代表“ドリームチーム”は平均得失点差44点で圧勝。対戦国の選手が試合前後にサインや握手を求める姿は、もはや勝負ではなくショーだった。 しかし、カーの発言通り時代は変わった。 1992年以降、オリンピックでこそアメリカ代表は2004年のアテネオリンピックで銅メダルに終わったものの、それ以外の大会では優勝している。 しかし、8度あったワールドカップでは、NBA選手を派遣したにもかかわらず、3大会しか優勝できていない。 近年のNBAでもレギュラーシーズンMVPには、アメリカ籍以外の選手たちが顔を並べている。 1992年、世界がドリームチームの背中を追いかけ始め、いよいよ追いつこうとしている。もはや、アメリカは憧れの存在ではなく、倒すべき存在となった。 アメリカ代表の少しの油断も致命傷になりかねない。 しかし、アメリカ代表の練習を見る限り、油断は皆無だった。
スタープレイヤーたちが中学、高校生のやる基礎練習を黙々と
練習内容は、ある意味で退屈。基礎の徹底と国際ルールへの対応にほぼすべての時間が割かれていた。 片足を軸足としてフロアに固定、もう一方の足を動かすピボットの練習。状況に応じパスを左右どちらの手で出すかの反復。ディフェンスにおけるポジショニングの確認。国際ルールとNBAルールでトラベリングの判定は微妙に変わるため、笛を吹かれないためのドリブルの初動の確認など。 中学生や高校生がやっていてもおかしくない練習が、幾度となく繰り返された。そんな派手さとは無縁の練習を年収何十億のスタープレイヤーたちが黙々と取り組んでいる。 さらに驚いたのは、練習中に最も声を張り上げているのが、2008年の北京、2012年のロンドンで金メダル獲得に貢献し、3大会ぶりにアメリカ代表に戻ってきた、今年40歳になるレブロン・ジェームズだったことだ。 その表情や額に刻まれたシワは確かに年齢を感じさせる。しかし、その鍛え抜かれた肉体はアメリカ代表のどの選手よりも分厚く、若々しかった。 完璧に体を準備して合宿に参加する姿勢、練習でも一切手を抜かない桁違いのストイックさに驚き、思わず日本代表の八村塁にメールをした。レブロンは普段から、これほどストイックなのかと。ロサンゼルス・レイカーズでレブロンとチームメイトであり師弟関係でもある八村からの返信は素早かった。 「レブロン、ヤバイです」 レブロンのキャプテンシーに、より驚かされたのが7月10日に行われたカナダ代表との親善試合だった。 カナダ代表もスターターはNBAのスター選手が並ぶ。 初の親善試合にアメリカ代表はバタバタした一面も時折見せたものの、86―72で勝利。 試合後、アメリカ代表の選手が仲のいいカナダ代表選手と和気あいあいと握手を交わしていた時だった。カーが用意してくれたゴール裏の最前列の席からはっきり見えた。 レブロンの「握手は後だ」と言わんばかりの険しい表情で、チームメイトを大きなジェスチャーで集める姿が。ハドルを組むとレブロンは言った。 「勝つには勝った。だが過去最悪の内容だった。ここから這い上がろう」
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