WHOの命名から6日後に研究成果を公表!「ミュー株」神速論文の舞台裏【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■「ミュー株」の研究で得た教訓 しかし、ラムダ株の研究を進めたことで得られた僥倖もあった。ラムダ株の次にVOIに認定されたのは、これまた南米で流行を広げていたミュー株である。この株は、8月30日にWHOによって命名された。そしてこれまでの例に漏れず、この日から世界中で研究競争の幕が切って落とされた訳である。 しかしわれわれは、WHOが命名したわずか6日後の9月5日に、ミュー株についての研究成果をプレプリント(査読前論文)として公表した。それをツイッター(現X)で拡散すると、世界中からものすごい反響があった。それはそうである。なぜなら、ミュー株の研究に取り組もうと準備していた世界中の研究者の99.9%は、まだ研究に必要な実験材料の準備さえできていなかっただろうから。 それならばなぜ、われわれはそんなことができたのか? 数日必要な実験ステップがいくつかあるので、いくら頑張っても、研究開始から6日で論文をまとめることは原理的に不可能である。その鍵は、実はラムダ株の研究の中にあった。 このコラムの冒頭で述べた通り、私はラムダ株についての情報収集のために、エクアドルのサンフランシスコ・デ・キト大学というところに在籍する、パウル・カルデナス医師にコンタクトを取っていた。彼とやりとりをする中で、パウルは私に、こんなことを教えてくれたのである。 「ケイ、ラムダ株が気になるのもわかるが、実はこっちでは、まだギリシャ文字のオフィシャルネームがついていない変異株の流行が進んでいる。その変異株の研究の準備を進めておいた方が良い――」。 パウルからこの情報を得たのが7月24日。その変異株には、「B.1.621」というコードネームがついていた。パウルのアドバイスにしたがって、翌日の25日には、B.1.621株の実験材料を揃え始めた。そしてそれからひと月ほどが経った8月29日に、この実験を担当していた大学院生(当時)のUが、私のところに実験結果の報告に来る。 「先生、この株(B.1.621株)に、ワクチン接種者の中和抗体が全然効きません――」。 奇しくも、WHOがB.1.621株に「ミュー」と名前をつけたのは、その翌日のことであった。つまりわれわれは、WHOが命名する前日に、この株についての実験結果をすでに得ていたのである。あとはその結果を追試して確認し、論文にまとめるだけだった。 これが、今でも巷で語り継がれる、「ミュー株」の神速論文の顛末である。この論文は査読も順調に進み、9月28日に、医学雑誌の最高峰である『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に採択された。 ここで得られた教訓はこうである。パンデミックという世界的な有事に取り組むためには、研究を遂行するスピードやモチベーションはもちろん大事だが、それだけでは解決できないこともある。 それは、パウルがB.1.621株(のちのミュー株)のことを私に私信してくれたように、世界のいろいろな国とつながりを持つことである。パウルとは面識もないし、オンラインで話したこともないが、不思議な縁でつながることができたことにとても感謝している。 文/佐藤 佳 写真/PIXTA
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