エビデンス未確立な治療法を議論しよう――わたしがGLP-1受容体作動薬のがん予防効果について話す理由
糖尿病患者は保険でカバーも
では、現時点で、我々はどうすればいいのか。私は、正確な状況を社会でシェアすべきだと思う。中高年になると誰もが健康が気になる。特に親が患った病気は心配だ。体質が遺伝しているし、親が闘病する姿を見ている。彼らは、この問題に医学的コンセンサスが確立するまで待っている時間的余裕はない。 私が外来でフォローする患者さんの中には、がん家系で、がんを心配している人が少なくない。胃カメラなど定期的な検診はもちろん、ピロリ菌の除菌や子宮頸がんや中咽頭がんなどの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)のワクチンの接種を希望する人もいる。彼らにとって、GLP-1受容体作動薬のがん予防の研究成果はありがたい。 幸い、GLP-1受容体作動薬は糖尿病治療薬としては古い薬だ。2005年に米国で初めて承認されて以降、約20年の使用経験があり、高い安全性が証明されている。 私は、このような患者さんには、GLP-1受容体作動薬のがん予防効果の話をすることにしている。もちろん、現時点では、十分に研究されておらず、医学的コンセンサスではないことは強調する。それでも、「試してみたい」という患者が少なくない。 彼らに対しては、何とかして期待に応えたいと思う。その際、課題となるのは薬剤費だ。ただ、GLP-1受容体作動薬は、糖尿病を患っている場合には、健康保険がカバーする。糖尿病の診断基準は近年厳しくなっており、空腹時血糖値126mg/dL以上やHbA1c6.5%以上などを2回確認すれば診断される。従来、この程度の血糖値の場合、食事や運動療法を勧め、治療薬を処方しなかったが、最近、私は方針を変えている。がん家系などの理由で、がんのことを心配している人には、GLP-1受容体作動薬も治療選択肢に挙げる。多くの患者さんが、処方を希望する。
主治医以外からの情報も重要
問題は、糖尿病の診断基準を満たさない場合だ。軽度~中等度の肥満症があれば(BMI 35kg/m2以上、あるいは27kg/m2以上で二つ以上の肥満関連合併症がある肥満症患者の場合は健康保険で支払われる)、自費診療で処方できることを紹介する。製剤により差があるが、一カ月の薬剤費は約1万円だ。これと診察費を自費で支払うことになる。大きな出費だが、私の外来では約半数の患者が処方を希望する。 その際、患者さんが心配するのが注射の痛みだ。GLP-1受容体作動薬は経口剤があるものの、使用経験が多く、有効性が確立しているのは注射剤だ。自宅で自ら注射する(自己注射)。 注射というと、採血やインフルエンザやコロナワクチン接種を想像する人が多い。このような注射は、それなりの痛みを伴う。だが、自己注射の針は32ゲージ程度の極細だ。「ほとんど痛みを感じません」という人が大部分だ。そして、「今後、どうなるかわかりませんが、やってみて良かったです」という人が多い。 これが、私の診療スタイルだ。エビデンスが確立していない治療を患者さんに薦めることに違和感を抱く医師もいらっしゃるだろう。それも一つの考え方だ。一方で、現時点での医学的エビデンスを考慮すれば、私のような対応は十分にあり得ると思う。最終的には患者が決めればよい。 その際には、大切なことは患者に十分な情報が提供されることだ。主治医以外からの情報も重要だ。そうでなければ、簡単に主治医に「説得」されてしまう。 我が国で残念なのは、GLP-1受容体作動薬に対する正確な情報がシェアされていないことだ。冒頭にご紹介したラスカー賞のニュースを全国紙5紙は報じなかった。世界の医学研究の成果が、日本国民に伝えられていないことになる。医学は専門性が高い。往々にして全国紙5紙は、厚労省記者クラブで発信される厚生労働省からの情報を記事にしている。心疾患や脳卒中への使用は米FDAで承認されているが、日本ではまだだ。厚生労働省が承認していない薬剤の使用を報道することに躊躇するのだろう。割を食うのは国民だ。メディアの方々の奮起を期待したい。
上昌広