「僕は間違ったのか」あふれるがん情報に踊らされ…余命宣告の母と息子 最後の2カ月間
私はテレビ朝日で報道局のディレクターをしている。 母が大腸がんのステージ4で余命3カ月と告げられて以降、仕事を休んで、自力で様々な治療法を探し続けた。 ネット上の怪しい情報に振り回された。 余命宣告を受けた母 束の間の穏やかな時間 母の死後、強い自責の念に襲われた。 自分は何かを間違ってしまったのではないか。 最後の数カ月、いろいろなことを試して逆に母を苦しめていなかったか。 時間を無駄にしなかっただろうか。 日本のがん罹患数が増えている現状から、自分と同じ苦しみを抱く人はこれから増えていく可能性が高い。 視聴者や読者に同じ轍を踏んでほしくない。 自分の経験を伝えることで、一つの考えるきっかけになってほしい。 そんな思いから、母と過ごした最後の日々と、その後の、あるがん経験者との出会いについて書くことにした。 (テレビ朝日報道局 才賀悠斗)
■ 「死んじゃうのかな」 母の声は震えていた
その日のことは今でも鮮明に思い出すことができる。 2022年の2月。夜中に突然、母から電話がかかってきた。 病院の検査でがんが見つかったのだという。大腸がんのステージ4。 「死んじゃうのかな」 電話の向こうから母の震える声が聞こえてきた。 泣きたいのは母のはずなのに、私のほうが涙で声が詰まってしまっていた。 「ステージ4」と言われても5年以上生きる人だっているんだ、自分の母もそうであってほしいと願っていた。根拠も確証もない希望だったが、何かにすがりたかった。 現実として母の状況は厳しかった。既にがん細胞が体の複数ヵ所に転移しており、腹部にがん細胞が広がる腹膜播種(ふくまくはしゅ)という症状も起きていた。外科手術や放射線治療は行えないという医師の判断で、抗がん剤治療を中心に行っていた。 しかし、母にとってこの抗がん剤治療が苦痛だったようで、薬を投与しては、嘔吐を繰り返した。 そんなつらい状況でも、母は息子のことを常に気にかけていた。 度々送られてくる「抗がん剤がつらい」というメッセージには「大丈夫?」、「元気?」など私の体調を心配する言葉がいつも添えられていた。 仕事の忙しさから、適当な返事しか返せない自分が嫌だった。