4億円の赤字を全額負担…それでも経営者養成のプロが「音楽フェス」にこだわるわけ つてもノウハウもない「最後発」、ロッキン移転後の茨城で6万人を集めた戦略とは
国営ひたち海浜公園は、青空に映えるネモフィラや真っ赤なコキアが四季を彩ることで有名だ。それが、夏になると巨大なステージが現れ、たちまちイベント会場に様変わりする。今年7月の3連休、会場では芝生エリアで寝っ転がって音楽を聴く人や、テントを立ててフェス飯を楽しむ人の姿がみられた。 「ラッキーフェスいけますかー!」。ステージでアーティストが呼びかけると、観客は右手で「L」のポーズを作り「ラッキー!」と歓声で応える。 栃木県から初めて来たという高野詩人さん(19)は「普段聴かないジャンルにも触れられるのがこのフェスの良いところ。演者との距離も近い」と目を輝かせた。 堀さんにとって仕事では縁もゆかりもなかった音楽業界だったが、今ではロッキンの生みの親である渋谷陽一さんなど、多くの「プロ」からもエールをもらえるようになった。 千葉市に移転したロッキンは今年9月、開催25周年記念としてひたちなか市でも開催。ひたちなか市にとっては5年ぶりの帰還だ。
ロッキン側は公式サイトでこうコメントした。「移転を発表した際、茨城のフェス文化の灯を消すな!を合言葉に立ち上がってくれたのがLuckyFesだった。一緒に茨城のフェスを盛り上げられたら素晴らしい」 ラッキーフェスの名前は、「イバラッキー」(茨城)から名付けた。堀さんは語る。「フェスで茨城の知名度が世界でも上がれば、これほどの貢献はない」。今後はアジアを中心に海外アーティストの招へいも本格化させ、外国人の誘客に力を入れる。見据えるのは「アジア最大のテーマパーク型フェス」だ。