「島流しだ!」と嫌がっていたのに…アルツハイマー病になった東大教授が、沖縄で見つけた「新しい居場所」
いいことが待っていた
ところが、いざ沖縄に戻ってみると、いいことが待っていました。 「若井先生、白衣を着て一緒にラウンドしませんか?」 という申し出を上田先生からいただいたのです。 ラウンドとは院内回診のことですが、そう尋ねられて「医者が趣味」と豪語していた晋の心が動かないはずありません。栃木へ引き揚げるという話はどこへやら、さっそく上田先生について、180床ほどある入院病棟を歩くことになりました。 野毛病院の患者は、ほとんどがお年寄りです。患者「様」と呼ぶ病院も増えていたころですが、野毛病院では「おじい」「おばあ」と気さくに呼びかけるのがふつうでした。 晋は最初、上田先生や看護師さんの説明を聞きながら一緒に歩いていたのですが、慣れてからはひとりで回診するようになりました。病棟はそれなりの広さがあります。迷ったりしないだろうか―そんな心配もありましたが、いざ始めてみると自分で白衣に着替え、うまく回れているようでした。 「一緒にラウンドに行ってみる?」 と誘われたので、ついていったことがあります。
患者と接する喜び
「具合はどうですか」 晋はそう声をかけながら、ゆっくり回診していました。話しかけてくる患者さんに、晋はただ「うん、うん」とうなずき、ときに「よかったですね」などと応じています。ただそれだけでしたが、おばあたちからは「ハンサム先生」と呼ばれて人気だったと、あとで病院の職員さんが教えてくれました。 現役の脳外科医だったころ、晋は「ムンテラの若井」と呼ばれていたそうです。ムンテラとは、ドイツ語の「Mund」と「Therapie」に由来する医療の隠語で、「言葉による治療」の意味だとか。患者さんの話をよく聞き、時間をかけて診療するのが晋のスタイルで、そこからこんな呼び名がついたようです。そういえば「医者の基本は声かけだよ」と晋が話していたこともありました。 医師は晋の天職でした。そして彼は、何より患者さんと接するのが好きだったのです。野毛病院では、診察や手術をしたわけではありません。ただ何となく白衣を着て、患者さんと話すだけでしたが、それが本人の癒やしにもつながったのでしょう。 「居場所ができてうれしいよ」 そう目を細めて、今日もいそいそと病院に出かけていくのでした。 『交通事故と入院を乗り越え…アルツハイマー病の東大教授が参列した、波乱まみれの「感動的な」結婚式』へ続く
若井 克子