「島流しだ!」と嫌がっていたのに…アルツハイマー病になった東大教授が、沖縄で見つけた「新しい居場所」
「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第22回 『「病もまた、神様から与えられたもの」…アルツハイマー病となった夫を何も聞かずに受け入れてくれた女性の“壮絶な過去”』より続く
「もう絶対に沖縄へは行かない」
夏。 出会いに恵まれた私たちでしたが、新しい土地の気候にはなかなか慣れることができませんでした。盛夏ともなると、さすがに沖縄の暑さは身にこたえるのです。晋と私は、20日間ほど栃木に里帰りすることに決めました。 グループホームに入居した晋の母に会う目的もありました。退職後、休む間もなく沖縄へ移住したので、長年暮らした栃木の家には、東京から送った荷物がまだそのままになっており、意外に「やること」が多かったのを覚えています。 段ボールに入った荷物を開け、部屋を掃除。晋は書斎の本を整理。そんなことをして、あと数日で沖縄へ戻るという時期に晋が、 「もう絶対に沖縄へは行かない」 挙げ句、出発する日の朝、ついに「捕囚だ」「島流しだ」と怒り出してしまいます。飛行機の時間が迫っていました。困った私は思わず、 「じゃあ、栃木に帰ってきてもいいから。むこうに荷物もあるし、とにかく上田先生に『やっぱり栃木に帰ります』って、挨拶に行こうよ」 するとようやく「行くよ」と重い腰があがりました。望んでした引っ越しでしたが、栃木の家は思いのほか居心地がよく、里心がついたのでしょうか。