大阪北部地震は「見えない」活断層が起こした?
「見えない」中央構造線が起こした?
「中央構造線」という日本最長の活断層帯があります。鹿児島県から熊本県を通り、大分県から瀬戸内海を抜けて、長野県まで達している長大な断層です。熊本の地震は明らかにこの活断層帯で起きて、それゆえ、いまだに震度4や3の地震が続いています。ちなみに阪神淡路大震災は同じM7.3でしたが、余震は2か月ほどで収まりました。 日本人が日本列島に住み着く前には多くの地震を起こしてきたことが地質学的には分かっている中央構造線です。 しかし、日本人が日本列島に住み着いたのは日本の地震の歴史に比べれば長くはない1万年あまりですから、日本人が見て記録した地震は限られています。それでも「慶長3連動地震」は、日本人の目の前で起きた大地震として多くの記録に残っています。 この「慶長伏見地震」が起きたのは16世紀末のことで、京都で大きな被害が出ました。地震による死者数は京都や大阪・堺で1000人以上だったと伝えられていて、この地震は今回の大阪の地震より被害が大きかったと考えられています。 被害を記録した古文書の様子から、今回と同じような場所で起きたのではないかと考えられています。しかし、当時は地震計などもちろんなく、今回の大阪北部の地震の震源近くより京都の方がずっと人も多く、古文書もたくさん残っていたのですが、当時の震源の場所は厳密には分からないのです。今回の地震で被害が多かった高槻市や茨木市などとその周辺の地域は、大阪と京都の中間にあって戦後に開発された新興住宅地が多く、昔は人がほとんどいなかった場所でした。 慶長伏見地震の4日前には現在の愛媛で「慶長伊予地震」が、また前日には現在の大分・別府湾口付近で「慶長豊後地震」が起きました。いずれも、それぞれの地域で大きな被害を生んで、そのために、縁起をかついで、同年中に文禄から慶長へ改元が行われたほどです。いずれも、日本で起きる内陸直下型地震としては最大級のM7クラスだったと思われています。 中央構造線は、紀伊半島の北部を東西に横断していて、今回の地震の震源からはある程度南に離れていますが、今回の地震も中央構造線絡みで、その構造線の近辺で起きる内陸直下型地震の一つであった可能性があります。 この中央構造線が長野県に至っていることは分かっていますが、その先、太平洋岸まで続いているかどうかは、学説が分かれています。つまり、堆積物が厚くて長野県より東は断層が見えないので確定した学説がないのです。 ですから、例えば6月17日に起きた群馬県渋川市の直下型地震は、この「見えない」中央構造線が起こした可能性も否定できないということになります。