【憧れの人エッセイ】高山なおみさん「体と言葉のつなぎ方を教えてくれた」随筆家・武田百合子について
私たちが「かっこいい」と思う女性たちが、上に仰ぎ、後ろに続いてきたのはどんな人なのだろう?「憧れの人」というテーマで、料理家・文筆家の高山なおみさんが、一字一句に愛情と尊敬を詰めて、綴ってくださいました。
百合子さんのこと
朝、起き抜けに窓の方に枕を持っていって、『富士日記(中)』をベッドの中で読んだ。きのうの朝は、春まで読んだ。今は夏だから、本の中でも夏を味わいたいのだけれど、飼い犬のポコが死んでしまうのを知っているので、なかなか先に進めない。神戸に移住してから私は、この懐かしい本を開いたことがなかった気がする。 武田百合子さんの文章に出合って、三十五年になる。いちばん最初は「枇杷」。『もの食う話』という、食にまつわる短編のアンソロジーにあった。亡き夫が枇杷を食べていた指づかい、口もとの動き。短い文章なのに、まるで人が生まれて死ぬくらいの長い時間を感じた。喫茶店の女給さんが出てくる、武田泰淳さんの「もの喰う女」もそのときに読んだ。「食べることが一番うれしいわ。おいしいものを食べるのがわたし一番好きよ」。読みながら、いつもお腹をすかせているこの女給さんは、なんだか自分に似ている気がした。あとで、百合子さんがモデルだと知った。 そのころ私は「諸国空想料理kuu kuu」というレストランで働いていて、休暇が取れるたびアジアの国々を旅し、肉も魚も、傷みかけた果物もいっしょくたになったような市場で、串焼きの肉を頬張り、麺をすすった。めくれたスカートから、漲んばかりの引きしまった足を見せながら立ち働く女たち。牛や豚の大きな肉の塊、頭、足、内臓、何から何まで食べ尽くす彼らのエネルギーに圧倒され、けっきょくお腹を壊して帰ってきた。どうして人は、生きものを食べないと生きていけないんだろう。悲しいときにもお腹がすいて、涙をこぼしながらでも食べることができるのだろう。私が文を書くようになったのは、そのあたりから。 お店で出しているフリーペーパーに、毎月小さなエッセイを寄せ、自由にお持ちくださいと食卓に置いていた。当時、百合子さんはまだお元気で、のちに『日日雑記』となる随筆を「マリ・クレール」という雑誌で連載していた。 『富士日記』をはじめて読んだのは、百合子さんが亡くなってからだ。たまたま立ち寄った駅の本屋にあったのが、文庫本の中巻だったので、そこから読みはじめた。あの日のことは忘れられない。私は一ページ目で、百合子さんの言葉に胸ぐらをつかまれた。 「野鳥園の前で車をとめ、主人便所に行く。このごろは、いつもここでおしっこに行く。(中略)昼寝をしたら、四時過ぎまで眠ってしまう。くらげのように体がやわらかくなってしまう」 大人の女の人が、堂々と「おしっこ」と書いている。自分の体をくらげに喩えているし、「しまう」という表現も二度続けている。そうか、文章というのは、生きている自分、デコボコな自分をなぞるように言葉を探し、書いていいんだな。 七月四日(火)朝のうち晴、時々くもり 朝、風がつよく青空となる。青葉はビニールでできているようだ。風にふさふさと倒れなびくとき、輝く。 朝 ごはん、めかじき煮付、わかめ味噌汁。 昼 釜あげうどん、さつまあげ、夏みかんゼリー。 泰淳さんと過ごす山の家での日常は、コンビーフやメリケン粉、高野豆腐などの買い物ひとつにも、朝昼晩の献立ひとつにも、言葉ではない奥行きがあり、私は想像した。日付に添えられた天気にさえも、物語がある気がして。明日にはもうなくなってしまう今を、目に見えた景色を、声を、すみずみまで正確に写しとること。 ポコが死んだのは、前述の日記の二週間のちだった。トランクを開け、犬の亡骸をみつけたとき、「空が真っ青で。冷たい牛乳二本私飲む。主人一本。すぐに車に乗って山の家へ。涙が出っ放しだ。前がよく見えなかった」 私はその場面を読んでも、もう泣きはしなかった。けれども「犬が死んだから泣くのを、それを我慢しないこと。涙だけ出してしまうこと。口をあけたまま、はあはあと出してしまうこと」という文字が、茶色く焼けた紙の上に並んでいるのを見たら、涙が噴き出した。クレヨンで描かれた赤い山の表紙のこの文庫本を、本屋でみつけたのは三十代のとき。あのころには夫がいて、吉祥寺のマンションの、四畳半の布団の中で、くる日もくる日も読みふけった日々を思い出したからだ。上巻の途中で『犬が星見た』を、下巻も読了し、もういちど中巻をはじめから読んだ。五十代になった私は、百合子さんの眼差しを目に宿し、シベリア鉄道に乗って旅をした。帰ってから旅行記を書き、翌年にはウズベキスタンにも行ったんだった。 そうして、六五歳になった今、私は神戸でひとり暮らしをしながら、料理の仕事をしたり、文章を書いたりして生きている。百合子さんに憧れを抱いているというのとは少し違う。私は、体と言葉のつなぎ方を教えてくれた百合子さんのことを、恩人だと思っているのだ。