メルヘンなタイル画がユニーク!鋳物の街に佇む湧水の銭湯 内免湯(富山県高岡市)
遊郭→旅館→銭湯
翌日、高岡生活3日目。昨日の昼風呂があまりに心地よかったので、この日も内免湯へ向かった。じつは、営業が始まる少し前に来るから女湯の「ピエロの絵」を見せてほしい、と前日お願いしていたのだ。 そのピエロは、かなり変わった格好をしていた。天橋立の傘松公園を訪れた人がみなやるように、彼は股覗(のぞ)きをしていた。どこの銭湯でもまったく見たことのないものだ(男湯の熱帯魚は、大阪市大正区の大正湯の女湯に似たものがある)。しかも女湯の浴槽内にだけ、モザイク画の熱帯魚が6尾くらい泳いでいた。 そして昨日に引き続き、真っ昼間の入浴。じつになんとも気持ちがよくてたまらない。いくらでもつかっていられる。明るい窓際の洗い場でヒゲもそって、つるんと生まれ変わったようになって上がった。 ご主人によると、正月の能登半島地震のとき、このあたりは震度5強だったそうだが、元日と2日はもともと休む予定をしていて、3日から予定通り営業したという。 「げた箱が倒れましたよ」 ――脱衣場もむちゃくちゃに? 「いや、そんなことはなかったな。この建物は古いから、地震と一緒にグラリグラリと揺れたのがよかったのかもね。ハッハッハッ」 ――いつごろの建物ですか? 「62年前です」 ――えっ、私も今年62歳になるんですが……! なんと、内免湯は私と同い年だった。 「親父(おやじ)たちがここへ来た頃はあたり一面の田んぼで、ホタルが飛んでいました」 ――このへんは金属加工や塗装の工場が多いですけど、それらはその後からできたのですか 「そうです。でも大きな工場はその後郊外に移転してしまって、工員さんたちも風呂に来なくなりました。今は小さな工場がポツポツ残っているだけです」 ――先代はここへ来る前は別のところにおられたのですか? 「砺波で旅館をやっていました。そこは元々は遊郭だったんです。新町という遊郭エリアで。今はもう更地ですが」 ――へぇー。遊郭から転業して旅館をやり、やがて客も減ったので高岡で銭湯をやろうかということになったということですか 「そうです」 私はその話と、高岡の鋳物産業が金属の種類を変えながらも今に伝わっていることが、どこかつながっているような気がした。