人生を「犠牲」にしてでも小説を読んでしまうことに「意味」はあるのか……問いかけ直して見えてくる、小説への「愛」
容赦なく突きつけられる「読むだけじゃ駄目なのか」
本作は内海集司が「小説を読むことの意味」を問われた瞬間に焦点を置きつつ、彼の半生を追っていく構成となっている。外崎と髭先生の二人との関わりを中心に、小説が彼にいろんなものを与え、いろんなものを奪っていくさまを描いていく。小説が好きな人であれば、内海の人生に共感するところも多いのではないかと思う。単なる文字の組み合わせが、一人の人間の人生に大きな影響を与えていく。かけがえのない友人に出会うきっかけになって、二人の間には常に小説がある。 いつも一緒にいた二人は、大人になっていくにつれて異なる立場へ追いやられていく。外崎には文才があり、内海にはどうやらそれがない。内海は親友の外崎が小説家になって、その才能を世間に認めてもらえることを願い、そのサポートに自分の人生を捧げる。 本作は二人の少年の友情物語でありながら、「小説」とは何かを問うメタ小説にもなっている。加えていえば、しっかりと「野﨑まど作品」でもあり、後半では読者を啞然とさせる飛躍とどんでん返しが待っていて、「小説」の意味を痛切に問い直す構造となっている。 超弦理論、複雑性、エントロピー、不老不死、自他の境界、ウィリアム・バトラー・イェイツ、芥川龍之介。そして噓──本作にちりばめられた噓と真を織り交ぜたペダンチックな記述は、すべてが「小説を読むことの意味」へと集約していく。 技術的な面で言えば、本作は最近の小説では珍しく「神の視点」から描かれており、内海の視点から外崎の視点へ、あるいは別の登場人物の視点へとシームレスに繫がっている(そしてこの視点の取り方も、本作の仕掛けと関係している)。 こうして本作について語っている僕も、著者の野﨑まどと同様に小説を執筆することを生業にしており、「小説を読むことの意味」が自分の生活と深く結びついてしまっているという業を背負っている。「小説を読んでも意味がない」と述べる友人に対し、「小説を書くために読んでいる」と答えてしまっては、「お前はそうだろうな」と言い返されるだけだ。 では僕は、なんのために小説を読んでいる? 「【読むだけじゃ駄目なのか】」という内海の叫びが、今も僕の心の中に響いている。 野﨑まど(のざき・まど) 1979年、東京都生まれ。麻布大学獣医学部卒業。2009年『[映]アムリタ』で第16回電撃小説大賞「メディアワークス文庫賞」の最初の受賞者となりデビュー。2013年に刊行された『know』で第34回日本SF大賞・第7回大学読書人大賞それぞれの候補、2021年『タイタン』で第42回吉川英治文学新人賞候補となる。2017年テレビアニメーション「正解するカド」でシリーズ構成と脚本を、2019年公開の劇場アニメーション『HELLO WORLD』で脚本を務める。「バビロン」シリーズは2019年よりアニメが放送された。
小川 哲(作家)